
平成13年9月4日から14日までの11日間の予定で、財団法人リバーフロント整備センターと同日本生態系協会の企画した「アメリカ合衆国集水域を単位とした河川環境保全施策調査団」に参加しました。同調査団に参加した弁護士は私と長野県の下平弁護士の二人、その他は釧路公立大学の小林教授や河川開発に関係する方や行政の方々、環境NGOの方等多種多様であり、それぞれ目的をもって調査に望んでいました。
私は、主にアメリカにおける湿地保護回復政策を主眼に様々な政策やその政策の実施現場を見聞して参りましたので、皆さんにこれから数回のシリーズでご紹介をして参りたいと思っています。
今回調査に参加したのは、日本弁護士連合会公害環境委員会湿地保全プロジェクトの一員として、アメリカの湿地保全回復の政策を調査するためです。
日本弁護士連合会では、ラムサール条約を批准し、湿地のワイズユースをすることになっているはずの日本で、次々と貴重な湿地が埋め立てられていく現状を憂い、このようなことが無いように、ラムサール条約を具現化した具体的な法律の制定を提唱し、この提案を持って、来年11月にスペイン・バレンシア市で行われるラムサール条約会議に参加しようというもくろみを持っており、その準備の一貫として参加したものです。
同プロジェクトではすでに日本国内で注目されている沖縄の泡瀬干潟や東京湾三番瀬などの湿地の視察を終えており、今後は海外の湿地保全について調査をし、これを湿地保全開腹に関する法律の制定という提言に生かしていこうと考えております。
さて、視察をしたのは、様々な連邦各省庁のあるワシントンDC、チェサビーク湾という湿地を有するメリーランド州アナポリス、アメリカ国内で湿地保全回復に最も熱心なフロリダ州の州都タラハシー、フロリダ州で大規模な湿地回復の公共事業に取り組んでいる南フロリダ水管理公社のあるウエストパームビーチ、さらには、ラムサール条約湿地であり、かつ、世界遺産にも登録されているエバーグレイズなどです。
どの視察先も印象的でしたが、特に、エバーグレイズや、タラハシー近郊にある湧水地ワクラスプリング(ここは昔ターザン映画や半魚人映画、最近ではエアポート77という映画の撮影もされた所です)、南フロリダ水管理公社による湿地回復の現場が印象的でした。
今回の「その1」ではイントロダクションと言うことで、次回から具体的な政策をご紹介していこうと思っています。ご紹介したい政策は是非日本でも導入して戴きたいものばかりです。
例えば、アメリカでは、湿地は減らさない。逆に、湿地を復元することを目的とする政策が、具体的な目標を掲げながら実際に実行に移されているということです。たとえば、アメリカでは湿地の価値が見直されており、湿地を作ってその浄水力を利用しようとしたり、自然の保水力を利用した貯水をしようとしたりしています。また、巨費を投じてフロリダの湿地の水を抜くための運河を埋立て、小さなダムを爆破して大地を湿地に戻しているのです。巨費を投じて湿地を埋立てようとしている日本とは大違いです。湿地を戻す場合と下水処理場を作った場合の費用効果を比べてから湿地を復元しているのではなく、湿地を回復させることそれ自体が重要なことなのだ価値あることなのだという哲学の上に立ち、その上で湿地を懸命に利用していきたいというのが基本理念であり、日本のようにどちらが経済的得なのかという議論は余りなされていないことも驚きでした。
湿地保全の政策は湿地そのものだけではなく、湿地に水をもたらす源である集水域単位で保全を考えて行かねば湿地の保全を実効性のあるものにしていくことはできないというのが、湿地そのものだけを守ればいいと考えがちな日本と大きく異なります。
また、生態系をコロンブスがアメリカ大陸を発見した頃の原生的な自然に回復させるのが目標だと言うことをいろいろな視察先で聞きました。ブラックバスやアライグマ、マングースなど外来移入種の問題が日本でも深刻な問題となっていますが、アメリカでもこの問題は深刻です。アメリカではこの問題に環境を原生的な湿地に戻すことにより、外来種を排除し、原生的な自然を回復しようと試みているのです。山火事を人工的に起こして原生的な森林を確保しようとしたりもしています。
このほか、公共事業を都市に集中し、スプロール現象を押さえ、自動車の使用等エネルギーの省力をしていこうというスマートグロスという考え方もとても示唆に富むものでした。
余談になりますが、視察途中の11日に、タラハシーから空路ウエストパームビーチに向かう途中テロに遭遇し、中継地のオーランドで足止めを食ったり、飛行機が数日間飛ばない状態となり、帰国が大幅に遅れ、19日まで5日間帰国できないという、アクシデントに見舞われました。
テロにあったワシントンDCは視察先であり、また、フロリダはテロリストの潜伏していた土地で、しかも、帰国後炭素菌の被害が報告された場所ということで、本当に冷や汗ものだったと思います。
テロ事件が発生した当時のアメリカに偶然居合わせたという体験から得ることができたことは追々ご紹介していこうと思っています。