小学生の頃、私は毎年のように、祖母のいる南茅部町に泊まりに行っていた。
札幌から函館まで、蒸気機関車の牽引する夜行列車「まりも」に乗り、函館市内からバスで川汲峠を越えて海沿いの町に向かったのだ。

私は車酔いが激しいたちだった。函館市内から峠の手前までで、バスの中で何度も嘔吐していた。川汲峠の手前、牛小屋のある休憩所で外の空気を吸って一息つく頃には、もう戻したくても戻すものさえない状態である。ガソリンの臭いと揺れと暑さが混じった記憶は忘れがたいものがあるが、今思うと、周囲の人も本当にたまらなかったろうと思う。
峠は、想像を絶する断崖である。バス一台が通れる程度の道幅なので、車がすれ違う時は極めて低速運転となる。峠を上るにつれて耳が詰まった状態となり、何度もつばを飲み込んで耐える。バスの中で私は、早く海が見えることを願って、ただ我慢するのが常であった。
海が見える頃になると、もうそれだけで救われた気持ちになって、気分は急激に晴れていく。役場前でまた休憩をとったバスは、今度は海岸線を行く。この海岸線がすばらしいのである。いろいろな形の岩、昆布を干す風景、断崖絶壁、沖を行く船を見ながら、時々岩をくりぬいて作られたトンネルを行くのは最高のスペクタキュラーだった。
母の実家での10日余りは、昆布干しを手伝って過ごした。天然に成育している昆布を、小舟の上から先が二つに分れた長い竿を使って巻き取って陸に揚げ、大きな丸い石が敷き詰められた干し場に干すのである。この石の浜は、太陽熱を蓄積すると共に、石と石の隙間に空気が通り、絶妙の乾燥を昆布にもたらす。
昆布は一日では乾燥しない。朝採った昆布は夕方回収し、納屋に入れておき、また、干す。そして、それを何度も何度も気が遠くなるほど繰り返すのだ。
早朝から働いた人々は昼寝をする。昼寝の習慣のない私は、一人海岸や川で、蟹やさるかに(日本ザリガニ)を捕ったり、箱と呼ばれる川の溜まりで泳いで過ごした。
捕れたてのウニやアワビ、朝イカの刺身、ごっこ(グロテスクな魚)汁、山ブドウの葉っぱに包まれた赤飯(おこわ)など、今では金を出してもなかなか食べられないものを食べていた。
そして、夏休みも終わりになると、また、あの地獄を通過して、札幌に戻るのである。
あれから30年。自分の子どもにも一度あの風景を見せてやりたいと思って、家族とマイカーで出かけたことがある。今は、函館から南茅部町に抜ける立派なトンネルが出来ていて、あっという間に海岸線まで出られる。海岸線も直線化され、奥まった場所は埋め立てられ、海に突き出た部分には立派なトンネルが出来て、道路が真っ直ぐ延びている。海岸線のほとんどはコンクリートで護岸されていた。
昆布採りも変わっていた。主力は海中に網を張ってそこに胞子をつけ、昆布を育成する養殖昆布だった。乾燥の方法も変わった。小屋の中に巨大な扇風機をつけて人工的に乾燥させるのである。
事前に家族に説明していたのとは大きく変わってしまった風景を前に、私はとまどうばかりだった。