2008/03/16 (Sun)
疑惑の銃弾問題~立場を変えてみてみたら~2008:03:16:19:08:26
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「疑惑の銃弾」は、週刊文春が特集をして、テレビ朝日系の深夜番組の「トゥナイト」で積極的に取り上げて、次第に大きくなっていった問題である。当時自分は学生だったが、その頃は、まさに興味本位で、注目をしていたに過ぎない。
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しかし、今は弁護士の目でどうしても見てしまう。刑事裁判には一事不再理の原則がある。日本では一事不再理は事件全体でみるから、事件が上訴されずにあるいは、最高裁で確定したら、同じ罪で再び起訴されることはない。そんなことをしていたら、いつまでも刑事裁判から抜けられなくなる。
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一方アメリカでは、一審段階から適用があるので、一審で無罪になったら検察官は控訴できない。一審で無罪になったら事件は終了だ。控訴できるのは、有罪になった被告人の側だけだ。
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日本では一審判決で無罪を得ても、一事不再理の原則の適用はないから、高等裁判所に控訴され、逆転有罪にされることが非常に多い。刑事裁判に携わると、しみじみ思うが、有罪率99%以上という圧倒的に弁護側不利な状況で、連続して無罪判決をとっていくのは本当に厳しい。
同一被告人がずっと刑事事件の被告人として座り続けなければならないのも厳しい。
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ところで、今回、三浦氏はアメリカで逮捕されたのだが、これについてあからさまな反対論が見あたらないのがとても気になる。
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本件を立場を変えて見てみよう。仮に、アメリカ人が日本国内でアメリカ人を殺害し、アメリカの裁判所で無罪になったものを、日本に観光できたところで再逮捕し、有罪にしようとしたらどうだろうか。アメリカ合衆国は猛烈に人権問題だ、刑事裁判権の侵害だとして日本に対して抗議してくるのではないだろうか。
果たして、アメリカ側が積極的に捜査資料を提供してくれるのであろうか。
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自分が三浦氏の立場になったらどうだろうか。日本で長い長い裁判を経て無罪になったのに、アメリカで実質的に同じ事実で裁判に付されるとしたらどうだろう。
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日本人の想像力はどうしても被害者の側の立場になったらという方向でのみ働きやすい。是非、刑事被告人ないしその家族となったらという目で見てみてはどうだろう。
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これからの世の中複眼的に物事をみるのが大切だと思う。

