2008/07/15 (Tue)
表現オリンピック2008:07:15:17:58:46
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東京オリンピックが開かれたのは1964年だから、私が8才、丁度小学校3,4年生の時だ。東京オリンピックに影響された私のクラスでは、学芸会の出し物として、「表現オリンピック」というものをやった。みんなで、オリンピックを、面白くおかしく表現するのだ。 私は重量挙げに出演。金メダルをとった三宅選手の影響もあったが、少々肥満していた私と藤井君等が選ばれたのだった。内容は、選手役の児童が一生懸命重量上げの演技をした後、係の役だった佐々木君が軽々とバーベルを片手で持ち上げて、運び去るという、ドリフターズ風のコント仕立ての内容だ。
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当時は東京オリンピックが開催された直後だったので、きっと子心にも大きな影響を受けたのだろう。この表現オリンピックのことは東京オリンピックの記憶と結びついて鮮明に覚えている。
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記憶が鮮明と言えば、1972年のミュンヘンオリンピックのバレーボール男子の準決勝の試合。テレビでは毎週「オリンピックへの道」というアニメが放映されていて、いわゆるブームになっていた。男子・女子生徒を問わず、みんな男子バレーの虜になっていた。そして、オリンピック本番でポーランドとの大熱戦・大逆転劇を迎えたわけだ。当時は、ビッグスリー大古、森田、横田やセッター猫田、南、島岡などレギュラー陣をみんな知っていた。中学校では、昼に円陣を組んで、バレーボールをして遊んでいたが、森田のドライブサーブや一人時間差攻撃などまねる生徒が多かった。
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そのほかのオリンピックで鮮明に覚えているのは1984年のロサンゼルスオリンピックと1988年のソウルオリンピック。どうしてかというと、ロサンゼルスオリンピックの開催された年は択一試験に失敗してしまい、悲壮な面持ちでオリンピックを見えていたからだ。心には絶対次のオリンピックまでには合格してやる。晴れやかな気持ちでオリンピックのテレビ放映を思う存分見てやるという気持ちになったからだ。4年後のソウルオリンピック開催時までに最終合格ができなかったが、口述試験は合格し、論文の試験の手応えを感じつつ、口述の勉強をしながらソウルオリンピックを見ていた。
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オリンピックにまつわる思い出は尽きない。
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