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2008/11/09 (Sun)

善光寺参り

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 長野出張の帰り、新幹線の時間まで小一時間あったので、長野駅から善光寺大門まで100円のバスに乗り、参内した。寒い曇天にも関わらず、表参道は賑わいを見せていた。

 表参道から本堂まで散策。本堂では、家内安全、事務所安泰、職員の健康を祈願した。長野は丁度紅葉の時期。紅葉と善光寺がマッチングしていて色鮮やかだ。
 本当は東山魁夷美術館にも回りたかったが、時間が無く断念。手打ちそばも断念。
 もっとも蕎麦は前日懇親会で打ち立てを食べて十分満喫していた。やはり、本場の蕎麦は美味しい。歯ごたえといい香りといい、とても美味しい。特に、辛み大根おろしを混ぜて食べるのが最高だった。そば焼酎も美味しかった。やはりこういうものはご当地で食べるのが一番なのである。

 小腹が空いたので、名物の「おやき」を食べる。おやきと言えば、あんこを小麦粉の皮で包んだものを想像するが、信州のおやきといえば、野沢菜を詰めた肉まんのようなもの。蒸かしたてを2つ買って頬張ると、冷気で冷えたからだが徐々に暖まっていった。ついでに、信州味噌を塗った焼きお握りを買って食べる。信州味噌が美味しかった。

 長野は2度目だが、とても綺麗で気に入っている。今度はゆっくりと回りたいものだ。

 長野駅に戻ると、臨時の新幹線が運良く出ていてそれに乗り込む。東京まで約1時間40分。疲れがどっと出てきて、本を読み始めたがすぐに寝てしまった。起きると既に上野付近。東京からは山手線、モノレールで羽田へ。自宅に着いたのは、9時近くだった。

 善光寺の歴史などは以下の通り・・・ウィキペディアより
 善光寺の本尊である秘仏、「善光寺式阿弥陀三尊」は、欽明天皇の時代に百済の聖明王から献呈されたものとされ、紆余曲折を経て推古天皇の命により本田(本多)善光の手で初め飯田市に、次いで現在地に遷座したと伝えられる。「善光寺」の名はこの本田善光の名から付けられたと伝えられ、また初めに遷座したとされる場所には元善光寺が現在も残っている。善光寺のある地域は5世紀頃から百済や高句麗出身の人たちが移住した地域としても知られ、「善光寺」の名については百済最後の王の息子で日本に定着した百済王氏の始祖である「善光」の名前からつけられたとの説もある。
中世以降の善光寺信仰の広まりから鎌倉時代以降、善光寺本尊を模した像が多く作られ、日本の各地に「善光寺」や「新善光寺」を名乗る寺も建てられた。
戦国時代、善光寺平は信濃侵攻を行う甲斐国の武田晴信(信玄)と北信国衆を庇護する越後国の上杉謙信の争いの舞台となり、寺は兵火を被り荒廃した。この後、善光寺は寺地を地方に流転することになるが、行く先については諸説ある。一説には、善光寺の焼失を懸念した信玄により本尊は居館のある甲府へ移され、この時に建てられたのが今日の甲府市にある甲斐善光寺であるという。別の説では、善光寺を保護したのは上杉謙信であり、本尊は越後国直江津(現在の上越市)に移され、その寺跡には十念寺(浜善光寺)が大本願別院として法燈を伝えている。
本尊は、さらに織田信長の手で岐阜へ、豊臣秀吉により京の都へ、更に徳川家康の手で尾張へ移されるなど転々としたが、1598年(慶長3年)秀吉の死の前日に信濃へ帰された。

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