2009/12/17 (Thu)
沖縄県弁護士会新垣剛先生の訃報に接して2009:12:17:11:57:22
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今日、沖縄弁護士会元会長新垣剛弁護士の奥様から喪中はがきが届きました。私は、本当に恥ずかしいことですが、新垣剛弁護士がお亡くなりになったことをそれまで知りませんでした。
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慌てて、ネットで検索したところ、琉球の新聞のHPに、・・・・新垣剛(あらかき・つよし=弁護士)19日正午、急性心筋梗塞のため死去、59歳。石垣市新川出身。1980年に司法試験に合格後、83年に沖縄弁護士会に会員登録。2007年4月から1年間、同会会長を務めた。・・・・とありました。ショックを受けました。
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新垣先生とお知り合いになったのは、日弁連の公害環境委員会の自然保護部会の会合がきっかけです。新垣先生は沖縄から、私は札幌から東京まで会議に毎回駆けつけていたので、お互い意識をするようになりました。
当時自然保護部会では湿地の保護の問題に取り組んでいましたので、北海道は釧路湿原、沖縄は泡瀬干潟があり、交互に視察がありました。沖縄に行ったときは、新垣先生行きつけのおでんのお店(おでんの中に豚の手等が入っている沖縄風のおでんです。大変美味しいものです。)に連れていっていただき、県産ビール(オリオンビール)を飲みながらいろいろ語りあったものです。また、釧路では、仲間と一緒に、炉端「樽げん」に行って、当日の食材をみんなで食べ尽くしてしまったという思い出もあります。
沖縄で育った新垣先生は寒い寒いを連発していました。札幌で調査を終えた後、最終日は、日帰りで函館に行ってから千歳から帰ると計画していると聞いて、驚いたこともあります。北海道を沖縄サイズのように思っていたのでしょう。
確か、湿地保護のシンポジウムの実行委員会でも一緒になって、海外視察に参加したこともあったと思います。新垣先生は、海外視察でも、沖縄にいるのと同じスタイルで、また、同じペースでゆっくりと歩かれていたのが微笑ましかったですね。
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新垣先生は、沖縄返還(1972年)前の琉球政府内の試験に通って本州に留学した方だと伺っています。どの大学にも行けたそうですが、医学部に進まれる方が多い中で、法学部にすすみ、司法試験にチャレンジされました。新垣先生とお話しをしていると、沖縄が日本ではなかった時代がほんの少し前にあったということを認識させられました。沖縄のことをいつも考えている先生でした。
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新垣先生も私も地元弁護士会でも委員会活動が忙しくなり、日弁連公害環境委員会からは徐々に離れていきましたが、その後会長になられて重責を果たし、これからも沖縄のために尽力されるものと信じていました。
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本当にすばらしい方を亡くしました。慎んでご冥福をお祈りしたいと思います。

