2010/08/29 (Sun)
会議での日本人の議論のあり方に寂しさを感じます。
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「日本辺境論」の 内田樹氏によれば、日本では理屈は外国でできたものを利用しているので、独創する能力はほとんどないから、議論においては、理屈で言い負かすよりも、相手より自分が上位であることを示す態度が重視されるそうです。
一方、そういう態度を示された時、その相手に対して、何の反発もせずに、受け入れてしまうという態度も良く取られます。和を強調する国では、相手方に対して、反発すると、村八分にあうという恐怖心が生まれるからでしょう。そして、実際、そういう憂き目にあうことが多いのです。
いきなり唐突に、「今の議論は意味がない、恥ずかしい」など頭ごなしに全否定をしてしまう上司もいると思います。こうなると、その上司の意見に逆らえず、意見交換の意味は全くなくなってしまうのです。
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社会の一員から離れたくない、集団から異端の目で見られたくないというプレッシャーは、弁護士の社会にも、歴然としてあるわけです。弁護士は会社組織に属しているわけではありません。むしろ、そういうしがらみがない弁護士の間でも、前記のような議論がなされてしまう場合があるのは悲しい限りですね。
弁護士は、1人1人が独立していますが、そういう仕事をしていても、村八分のプレッシャーを感じることがありますから、会社にいるともっとすごいプレッシャーがかかるのではないでしょうか。
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日本の場合、議論が感情論にすり替わるのも悲しいですね。それは前述のような相手の言い分を尊重しない議論の進め方に原因があるのではないかと思います。自分こそがお山の大将である、自分が君より上位にあるということを示し合うような状態で議論が進めば、感情を害することは明らかですよね。
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日本では小学校から大学まで、冷静に、アカデミックに議論するという教育をされていますが、それでもなかなか冷静で建設的な議論はできないですね。やっぱり、これは教育でも矯正できない日本人の特性なのでしょうかね。






