2011/02/24 (Thu)
「多数決絶対の原則」と「御恩と奉公」の論理に支配された日本の政党政治
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日本の社会では、多数決理論絶対の原則ともいうべき風潮があると思います。思い返してみれば、小学校からクラスの決めごとはいつも多数決で決められていきました。多数決論理は民主主義の象徴のように思ってきたのかも知れません。
しかし、残念ながら、日本の政治では、多数決の結果だけ絶対視され、議論の過程は無視され、多数決で得られた結論は少数に文句を言わせない論理、すなわち、「多数決絶対の原則」として用いられてきたように思います。
この多数決絶対の原則下では、多数決という結果をえるということだけが大切であり、そのための多数派を形成するということが最も重要視されてきました。少数派は存在しないのと同じなのです。多数派を形成するために用いられる論理は残念ながら主義・主張ではありません。日本独特の「義理と人情」、鎌倉時代さながらの、「御恩と奉仕」の論理であり、「人脈と金脈」だと思います。
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日本では、党議拘束も厳しく、政党の決定には従わねばねばならないのは、多数決絶対の原則があるからでしょう。自民党がやってきたのはこの原則を駆使した政治ですが、政権が民主党に変わっても多数決絶対の原則には全く変わりはありませんでした。今まで自民党に数の論理でやられてきたことを、やり返しているだけなのです。そして、自民党がまた政権を取ったら、数の論理による粛正、リベンジがなされるのでしょう。
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今回造反した16人の方々、そして、政務次官を辞めた方は、どのような理念で動いているのか全く分かりませんが、皆さんが向いている方向は選挙民ではなく、特定の議員であることは間違いがないようです。同床異夢ということでしょうか。多数決絶対の原則が支配する日本政治の中で、数を減らしてしまっては公約も実現できないでしょう。
多数決絶対の原則の下では、二大政党政治は上手く行かないのは確かなことのようです。
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ただ、政治は我々の生活の縮図です。日頃多数決絶対の原則を振りかざしていませんか。自問自答してみるのもいいかもしれません。
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ところで、世の中で、多数決論理が通じないのは、裁判手続だけです。100人中99人が黒だと思っても、証拠がなければ白です。政治が多数の力を借りて行う行為を止めることが出来るのは、もはや司法手続だけになってしまったのかもしれません。
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