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- 私が司法試験を受験中、シュワルツェネッガーという役者のことも全くしらない時、テレビから流れてきた映画の一つが、バトルランナーです。この映画、テレビで何度も放映され、ほとんど覚えているのですが、何度も見てしまいました。そして、最近Netflixでも見ることができるようになりました。そして、やっぱり見てしまいました。
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- 映画『バトルランナー(ランニングマン)』は、2017年のアメリカを舞台にした1987年制作のシュワルツェネッガー主演のSF映画です。この映画では、政府とメディアが一体となり、過激なデスゲームを国民向け娯楽として放送する社会が描かれます。人々は暴力的な番組に熱狂し、その裏で何が起きているのかを深く考えようとはしません。この映画にはスマートフォンもSNSも登場しませんが、「都合の良い情報が一方的に流され、人々が考えなくなる社会」という構図は、むしろ現代の方がリアルに感じられます。現代では、情報は自分から探しに行くものではなく、自然と流れてくるものになりました。ニュース、動画、評価、意見——スマートフォンを開けば、次々と目に入ってきます。便利である一方で、私たちは考える前に受け取るという習慣に慣れつつあります。この「受動性」は、社会や政治の問題だけでなく、個人の人生の問題にも静かに影響しているように思います。
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- 相続の手続が何年もされていない。事実上は破綻した夫婦関係を、離婚せずに放置している。住宅ローンや親の介護、家族間の金銭問題を「何となく」抱え続けている。こうした状況は、決して珍しくありません。多くの方が薄々こう思っています。「このままでは良くない」「いずれ困るかもしれない」。それでも、専門家に相談するのは後回しになる。なぜでしょうか。
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- 専門家に相談するという行為は、「自分が問題を抱えている」と認めることでもありますね。相続を放置している人が弁護士に相談すれば、「このままだと争いになる可能性があります」と言われるかもしれない。離婚を迷っている人が相談すれば、「感情的にはつらいが、現実的な判断が必要です」と言われるかもしれない。それは、自分が目をそらしてきた現実を、言葉として突きつけられる体験です。人は、本能的にそれを避けようとします。
- ■ 今の社会では、「すぐに結果が出る」ことが好まれます。検索すれば答えがあり、動画を見れば分かった気になる。ところが、相続や離婚、人生の問題には、一度で出る正解がありません。複数の選択肢があり、それぞれにメリットとデメリットがあり、感情の整理も必要です。この「曖昧さ」が、人を立ち止まらせるのではないでしょうか。「整理がついてから相談しよう」「もう少し考えてからにしよう」そうして時間が過ぎていくのではないでしょうか。
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- 「専門家に相談するほどではない」「こんなことで行っていいのだろうか」多くの方が、こう感じていると思います。しかし実際には、専門家が最も力を発揮できるのは、問題が小さいうちです。それでも、「相談したら話が大きくなる」「もう後戻りできなくなる」という感覚が、足を止めます。
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- 家族がいる。時間が経てば状況が変わるかもしれない。最終的には誰かが動くだろう。この「誰かが何とかしてくれる」という期待は、とても人間的です。 しかし現実には、誰も代わりに決断してはくれません。その姿は、『バトルランナー』の観客が、「自分が考えなくても社会は回る」と信じている姿と、どこか重なります。
- 人生の問題は、見ないふりをしても消えません。むしろ、時間とともに形を変え、複雑になり、関係者を増やしていきます。相続は、次の世代に引き継がれます。 離婚問題は、老後や相続の場面で再浮上します。後から振り返ったとき、「なぜもっと早く相談しなかったのか」そう語る方は、少なくありません。
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- 最後に、強調したいことがあります。専門家に相談することは、その場で何かを決断することではありません。多くの場合、それは問題を言葉にし、状況を整理し、選択肢を知るための場です。分からないままでいい。迷っていていい。何もしないという選択肢が、今は最善だと分かることもあります。重要なのは、「考えないまま時間を過ごす」ことと、「考えた上で決めない」ことは、全く違うという点です。考えることを先送りにする社会。そして、人生の問題を後回しにする私たち。
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- 『バトルランナー』が描いた未来は、特別な誰かの話ではありません。小さくてもいい。一度だけ、立ち止まって考えてみる。必要であれば、誰かに相談してみる。その一歩が、後になって最も意味のある選択だったと気づくこともあります。

