裁判のIT化が変える「司法の地理」・・・一月一言
――北海道から見える、日本社会と司法の未来
先日、久しぶりに東京へ一泊の出張に行ってきました。 東京駅周辺は、平日にもかかわらず驚くほどの人の多さです。電車は満員に近く、飲食店には仕事帰りのサラリーマンたちが溢れ、大きな声で談笑している。地方都市とは異なる、独特の熱気と喧騒があります。増え続ける外国人と、東京の「NY化」
その中で、特に印象的だったのは「外国人の多さ」です。 丸の内を歩いていると、オフィス街の中に、ごく自然に多くの外国人が溶け込んでいる。観光客というより、そこで働き、生活している人たちです。札幌で目にする外国人の数や雰囲気とは、明らかに次元が違います。 思い返せば、まだ日本に今ほど外国人が多くなかった時代、海外視察でローマやロンドンを歩いた際にも、似たような感覚を覚えました。 ロンドンには、典型的な「英国紳士」ばかりがいるわけではありません。目の色も肌の色も多種多様で、まさに「人種のるつぼ」という印象でした。 ニューヨークのような多様性です。 そして、10数年を経て、同じ現象が東京にも起きているのだと感じました。東京は今、急速に「NY化」しているのかもしれません。日本特有の「東京一極集中」
もっとも、日本は依然として強い中央集権国家です。 大学も、大企業も、情報も、人材も、結局は東京に集まる。地方で育った若者たちは東京へ向かい、親は仕送りを続ける。その総額だけでも、莫大なものになるでしょう。 一方、ドイツを旅した際には、まったく異なる都市設計を感じました。 ベルリンは確かに首都ですが、日本の東京のような圧倒的一極集中ではありません。ミュンヘン、ハンブルク、フランクフルトなど、それぞれの地方都市が独自の魅力と経済圏を持っている。国家として、「集中しすぎない」構造が意識されているように思えます。北海道からだからこそ見えるもの
東京にずっといると、日本全体が東京の延長線上にあるように感じるのかもしれません。 しかし、北海道から東京を見ると、別の現実が見えてきます。 人口減少、人手不足、事業承継、交通インフラ、医療や介護の問題――。地方では、東京とは異なる課題が日々進行しています。 法律実務でも同様です。 東京では当然とされる制度や商慣習が、地方ではそのまま機能しないこともあります。地方には地方の産業構造があり、人口動態があり、距離の問題があります。 だからこそ、北海道のような地方からの視点は重要なのだと思います。裁判のIT化が変える「司法の地理」
そして今、その「東京一極集中」は、司法の世界でもさらに進もうとしています。 裁判のIT化です。 かつては、裁判をするためには、人間が裁判所へ行かなければなりませんでした。弁護士も、裁判官も、書記官も、当事者も、同じ場所に集まる必要があった。 しかし現在は、ウェブ会議による期日が増え、書面提出も電子化され、物理的に裁判所へ行く必要は急速になくなっています。 実際、最近の札幌地方裁判所の中は、以前とはかなり雰囲気が変わってきました。 かつては、廊下で知り合いの弁護士に会い、雑談を交わし、相手方代理人と顔を合わせ、書記官と少し話をする――そんな日常がありました。 しかし今は、人が少ない。 裁判所の中で弁護士に出会うこと自体が減っています。建物の中が、どこか「がらん」としている。空洞化は、すでに始まっているのだと思います。「人間が存在しない裁判」の不気味さ
もちろん、IT化によって効率は上がります。 移動時間は減り、遠方の依頼者の負担も軽くなる。便利になった部分は間違いなくあります。 しかしその一方で、裁判手続から「人間の気配」が消えつつあることに、強い違和感を覚えます。 人間が、人間に直接触れ合うことなく、裁判が進んでいく。 相手方の表情を見ることもない。裁判官の空気感を感じることもない。廊下で偶然会って和解の糸口が生まれることもない。 画面越しに、データだけが流れていく。 それは、生理的に受け付けない感覚です。 裁判とは、本来、人間同士の紛争を、人間が解決する営みだったはずです。 怒りも、悲しみも、後悔も、事情も、沈黙もある。その空気を共有するからこそ、和解や妥協や情状というものが存在してきた。 しかし、効率化されたデジタル空間では、そうした「人間的な揺らぎ」が削ぎ落とされていきます。 情けも何もない世界です。AIが裁く社会は来るのか
行き帰りの飛行機では、ハリウッド映画『Mercy』を観ました。 作品の中では、刑事事件をAIが90分で審理します。 そして、有罪確率が92%を超えれば即処刑。 被告人には弁護人も付かず、自らAIを使って証拠を探し、自分で無罪を立証しなければならない。失敗すれば死刑です。 極端な設定ではあります。 しかし、現在進んでいるAI技術や司法のデジタル化を見ていると、単なるSFとして笑えない部分もあります。 AIは、膨大な判例や証拠を瞬時に分析できます。感情にも左右されない。効率性だけを見れば、人間より優れている場面もあるでしょう。 ですが、裁判とは、本当に「確率」で決めてよいものなのでしょうか。 人間の人生、背景、後悔、沈黙、空気――。そうした数値化できないものを、司法はこれまで扱ってきたはずです。 東京の通勤ラッシュを歩いていると、ときどきSF映画の中に入り込んだような感覚になります。 誰も無口で、整然と、ロボットのように歩いていく。 巨大なシステムの中を、人間が流れていく。 そして、その延長線上には、人間が裁判所へ行かなくなる世界、人間同士が接触しない司法、AIが判断を下す社会が待っているのかもしれません。 便利さと効率化の先で、私たちは「人間による司法」をどこまで残せるのか。 北海道から東京を見ていると、そんなことを考えさせられます。黙る者が負けるというルール・・・一月一言
「批判してはならない社会」が生む停滞
最近、「批判すること自体が悪い」という空気が、日本社会の中で強くなっているように感じる。 もちろん、感情的な中傷や人格攻撃は慎むべきである。しかし本来の「批判」とは、物事を検討し、問題点を指摘し、改善の可能性を探る行為のはずだ。それにもかかわらず、異議を述べることそのものが敬遠される風潮が広がっている。 日本人は幼い頃から、「空気を読むこと」「波風を立てないこと」を重視する文化の中で育つ。自分の意見を貫くより、周囲との調和を保つことが、上手に生きる知恵として教えられてきた。 「出る杭は打たれる」という言葉は、その象徴である。 この文化には、無用な対立を避け、共同体を安定させるという長所もある。しかしその一方で、既存の価値観を疑う視点や、独創的な発想は生まれにくくなる。 そのため、日本では、ブレイクスルーを起こすような突出した人物や、独自の発想を持つ起業家が育ちにくいと言われることもある。「異議を述べる文化」である訴訟
ところが、法律の世界は、この日本的感覚とはまったく異なる。 訴訟とは、本質的に「異議申し立て」の制度である。相手方の主張に対し、「それは違う」と論理的に反論することによって成り立っている。 西洋近代法の根底には、対立する意見をぶつけ合い、その中から妥当な結論を導くという思想がある。 したがって、訴訟の場で沈黙は美徳ではない。 たとえば、相手方の主張に反論しなければ、「争わない」とみなされる場合がある。いわゆる黙示の承諾である。 しかし、日本社会では「争わないこと」が良識とされやすいため、この感覚を理解していない人が少なくない。 その結果、本来なら争えたはずの権利を、自ら放棄してしまう人もいる。書面を見るだけで傷ついてしまう人々
実際、訴訟になると、相手方から届く書面そのものに大きなストレスを感じる依頼者は多い。 「こんなことを書かれた」 「人格を否定された」 「攻撃された」 そう感じて深く傷ついてしまう。 しかし、訴訟とは、そもそも原告と被告で物事の見え方が異なるから起こるものである。意見が対立するのは制度上当然に予定されている。 むしろ、反論が存在すること自体は異常ではない。 しかし、日本社会では「対立」そのものへの耐性が弱いため、法的紛争に直面しただけで精神的に消耗してしまう人が多い。 そこで最も楽なのは、黙ることである。 しかし、黙っていれば問題が消えるわけではない。黙る者が負ける社会
弱肉強食の社会では、沈黙する側が一方的に不利益を受けやすい。 家庭内で立場の弱い配偶者、会社で発言力を持たない従業員、社会的影響力を持たない個人――。 そうした人々にとって、本来、法律は「最後の防御手段」である。 法の下では、強者も弱者も平等である。 だからこそ、弱者にとって法律は極めて重要な武器になる。 しかし現実には、その武器を使おうとしない人が多い。 法律を知らない。 弁護士に相談しない。 争うこと自体を避けてしまう。 結果として、「声を上げない者」が不利益を受け続ける構造が温存される。なぜ弁護士を増やしたのか
近年、日本では司法制度改革によって司法試験合格者数が大幅に増やされた。 その背景について、「事前規制を減らし、自由競争社会へ移行する以上、被害を受けた人が自ら権利を守れる仕組みを整える必要があった」という指摘がある。 つまり、国家が細かく規制して守る社会から、「被害を受けたら法によって救済を求める社会」へ変わろうとしたのである。 これは、ある意味で「自己責任社会」の進行でもある。 だからこそ、法律へのアクセスを広げ、弁護士を増やす必要があった。 しかし、多くの人はまだ、その変化に気づいていない。 競争社会を受け入れながら、同時に「争うこと」を忌避する。この矛盾が、日本社会の停滞感を生んでいるのかもしれない。批判とは破壊ではない
本来、批判とは破壊ではない。 それは、現状を問い直し、問題点を明らかにし、より良い方向へ進むための行為である。 もちろん、感情的な攻撃や誹謗中傷は慎むべきだ。しかし、「異議を述べること」まで否定してしまえば、社会は変化を失う。 黙っていることが美徳とされる社会では、強い者の論理だけが通りやすくなる。 だからこそ今、日本社会に必要なのは、「争わないこと」ではなく、「冷静に異議を述べる力」なのではないだろうか。 相談者の中には、訴訟を提起することや話し合いを基調とする調停を申し立てることに躊躇して辞めてしまう方も多い。本当に残念なことだ。旅の思い出 〜 北海道大学教養部時代・島原への旅の記憶 〜
ドイツ語クラスがつないだ縁
北海道大学の教養部時代、クラス編成は第2外国語によって決まっていた。私が選んだのはドイツ語。担任は岡崎先生という、ドイツ語をこよなく愛する熱血教官だった。
その情熱に打たれ、私は先生のゼミを履修した。ゼミではワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を輪読した記憶がある。決して平易な内容ではなかったが、言葉と思想に向き合う濃密な時間だった。
その後も岡崎先生とは年賀状のやり取りが続いた。広島大学へ転勤された後、大作『ニーベルンゲンの歌』を完成され、それを寄贈していただいたこともある。学生への思いと学問への情熱の深さを感じる出来事だった。
また、クラスから2人もドイツ語研究者の道に進み、大学教官となったのだから、今振り返ると非常に恵まれた環境にいたのだと思う。
そんなクラスで出会った仲間たち——板東君、野村君、寺田君、そして長崎県島原出身の木村君とともに、忘れがたい旅に出ることになる。
学生時代の無謀で贅沢な旅
目的地は、木村君の実家がある長崎県島原。北海道から九州までという長距離の旅だが、当時の私たちには時間だけはたっぷりあった。
お金はないが時間はある——そんな学生らしい発想で、フェリーを活用した節約旅行が始まった。
フェリーで始まる試練の一日
まずはJRで小樽へ向かい、夜、新日本海フェリーに乗船。翌日は丸一日、船の上で過ごすことになる。
しかしこの一日は過酷だった。波が荒く、ほとんど船酔い状態で、一歩も動けない。ただ横になって耐えるしかなく、苦しい時間が延々と続いた。
京都での回復と自由な散策
3日目の朝、舞鶴に到着。ようやく船酔いから解放され、生き返ったような気分だった。その後、列車で京都へ移動し、「京都タワーホテル」に宿泊した。
京都市内は木村君が案内してくれた。なぜあれほど詳しかったのかは思い出せないが、三十三間堂や清水寺などの名所を効率よく巡ることができた。修学旅行とは違い、自分たちのペースで歩く京都は、どこか新鮮だった。
瀬戸内海の穏やかな船旅
4日目の夜には神戸へ移動し、そこからフェリーで門司へ。今度は瀬戸内海航路である。
前回とは打って変わって波は穏やかで、非常に快適な船旅だった。同じフェリーでもここまで違うのかと実感した夜だった。
太宰府と九州の暖かさ
5日目、九州に上陸。福岡は通過し、太宰府天満宮へ向かった。当時、さだまさしが学生の間で大人気で、「飛梅」の情景を思い浮かべながら参拝し、梅ヶ枝餅を味わった。
さらに、木村君の案内で、お兄さんが勉強していた九州大学にも立ち寄った記憶がある。春休みの時期だったが、九州は北海道とは比べものにならないほど暖かく、その気候の違いも印象に残っている。
その後、西鉄で熊本へ移動し、連絡船で島原へ。ここまでで片道約1週間という、ゆったりとした旅程だった。
島原での温かな時間
木村君の実家に到着すると、家族の会話はほとんど島原弁で、正直なところ理解は難しかった。それでも、温かく迎えてくれていることは十分に伝わってきた。
島原を拠点に、島原鉄道で長崎市へも足を延ばした。
長崎の風景と味の記憶
長崎では木村君の親戚の方も同行してくれ、街を案内してもらった。赤レンガの教会、稲佐山、眼鏡橋、原爆記念公園——どれも印象深い場所ばかりだった。
そして、長崎ちゃんぽんや皿うどん。土地の味もまた、この旅の大切な記憶の一部である。
帰路というもう一つの旅
数日後、木村君を島原に残し、4人で帰路についた。熊本へ渡り、バスで阿蘇を横断し、別府温泉で一泊。その後フェリーで大阪へ向かう。
大阪からは国鉄の「北国」に乗車し、夜出発して青森まで向かう。木の椅子席で一日かけて移動するのは非常に厳しいものだった。
さらに青函連絡船で函館へ渡り、そこから列車で札幌へ戻る。長く、そして身体にこたえる帰路だった。
不便さの中にあった豊かさ
振り返れば、決して楽な旅ではなかった。船酔いに苦しみ、長時間の移動に疲れ、贅沢な食事もなかった。
それでも、あの旅は確かに楽しかった。
時間に追われることなく、日本を縦断し、京都や長崎、島原をじっくり味わうことができたのは、学生時代ならではの贅沢だったと思う。
もう戻れない旅のかたち
あれから約50年。今は多少の余裕はあっても、あのように時間を贅沢に使うことは難しく、不便さを受け入れることもできないだろう。
新日本海フェリーでの激しい船酔い、瀬戸内海の穏やかさ、そして大阪からの厳しい列車の旅——それらは今も強く記憶に残っている。
あんな旅は、もう実現できないだろう。
あの頃の仲間たちへ
一緒に旅をした仲間たちとは、大学卒業後ほとんど会っていない。
それでも、あの時間を共有した記憶だけは消えない。ふとしたときに思い出しながら、みんなどうしているのだろうかと静かに考えることがある。
一月一言・・・裁判のIT化とは?オンライン調停時代に見直すべき「対面」の重要性
ハリウッド映画「サロゲート」が示したIT社会の行く末
映画『サロゲート(Surrogates, 2009)』をご紹介したい。近未来を舞台とするこの作品では、人々は「サロゲート」と呼ばれる遠隔操作型アンドロイドを代理身体として使用し、ほとんど自宅を出ずに生活している。事故や犯罪は激減し、表面的には合理的で安全な社会が成立する。しかし、人々は自身の身体を使うこと、生身の姿を相手に見せることを手放し、他者との感情交流は希薄化し、巨大企業の支配が進む中で、社会は深刻な“人間性の喪失”へと向かっていく。ブルース・ウィリス主演のこの映画、最近CSで久々オンエアしていた。是非、チャンスがあったら見ていただきたい。裁判のIT化が進む背景とメリット
近年、日本の司法分野において「裁判のIT化」が急速に進んでいます。
具体的には、Web会議による期日進行、オンライン調停、書面の電子提出といった手続が一般化しつつあります。
裁判のIT化には、次のようなメリットがあります。
- 裁判所への移動負担の軽減
- 手続の迅速化・効率化
- 遠方当事者の参加の容易化
特に企業法務や多忙な当事者にとっては、時間的・物理的な制約を大きく減らす有効な仕組みといえるでしょう。
一方で、「オンラインで完結する司法」が進むことで、見落とされがちな課題も存在します。
オンライン裁判・オンライン調停の課題とは
裁判のIT化が進む中で、「オンライン裁判」や「オンライン調停」に対する課題も徐々に指摘されています。
非言語情報の不足
対面の場では、
- 表情の変化
- 声のトーン
- 沈黙の意味
- 姿勢や視線
といった非言語情報が重要な役割を果たします。
しかし、オンライン環境ではこれらの情報が制限され、当事者の真意や感情の機微を把握しにくくなる傾向があります。
書面の過激化・コミュニケーションの変化
近年の実務では、準備書面の表現が断定的・攻撃的になる傾向も指摘されています。
対面であれば自然と働く「相手への配慮」が、オンライン環境では弱まりやすく、心理的距離がそのまま表現に現れるためです。
これは、裁判の公正性や品位にも影響を及ぼす重要な問題です。
調停手続における対面の重要性
特に「調停手続」においては、対面でのやり取りが極めて重要です。
調停とは、当事者同士の合意による解決を目指す手続であり、単なる法的判断ではなく「人と人との対話」が中心となります。
調停委員は、以下のような要素から当事者の真意を読み取ります。
- 表情のわずかな変化
- 声の震えや間の取り方
- 沈黙の重さ
- 身体の動きや姿勢
これらはオンラインでは十分に伝わらないことが多く、調停の質に影響を与える可能性があります。
弁護士実務から見たオンライン化の影響
弁護士の立場から見ても、裁判のIT化は実務に大きな変化をもたらしています。
対面の場では、
- 裁判官の表情の変化
- 調停室の空気感
- 廊下での短いやり取り
といった、いわゆる「行間の情報」を得ることができます。
こうした情報は、書面には表れないものの、事件の理解や戦略立案において非常に重要です。
オンライン中心の環境では、これらの情報が得にくくなり、判断の精度に影響を及ぼす可能性があります。
「対面」の持つ本質的な価値とは
裁判のIT化が進む中でも、対面には代替しがたい価値があります。
対面の場では、時候の挨拶や雑談といった一見無関係なやり取りが、信頼関係の構築に寄与します。
この「余白」があることで、
- 当事者間の心理的距離が縮まる
- 裁判官・調停委員との信頼関係が生まれる
- より本質的な問題に踏み込める
といった効果が期待できます。
裁判のIT化と対面のバランスが重要
今後、「裁判のIT化」はさらに進展していくと考えられます。
オンライン調停やWeb期日は、今後も重要な手段であり続けるでしょう。
しかし、司法の本質はあくまで「人が人に向き合うこと」にあります。
すべてをオンラインに置き換えるのではなく、
- 案件の性質
- 当事者の状況
- 紛争の深刻度
に応じて、対面とオンラインを適切に使い分けることが重要です。
まとめ:オンライン時代にこそ問われる調停の質
裁判のIT化は、利便性と効率性を大きく向上させました。
一方で、対面によって支えられてきた司法の本質的価値が揺らいでいる側面もあります。
特に調停手続においては、対面による対話が持つ意味は依然として大きく、
- 当事者の真意の把握
- 信頼関係の構築
- 納得感のある解決
において不可欠な要素です。
当事務所では、オンラインと対面の双方の利点を踏まえ、案件ごとに最適な手続選択を行い、依頼者の利益最大化を目指しています。
思いでぼろぼろ・・・心の原風景・・真駒内
真駒内の原風景
川の名を持つまち
澄川と石山の間に広がり、豊平川をはさんで藻岩の山並みに向かい合う真駒内。この地名は、静かに流れる真駒内川から名づけられたという。
いまでは大きな住宅地として知られているが、その歴史をたどると、牧場の時代、進駐軍の時代、そしてオリンピックの時代と、幾度も姿を変えてきた場所である。
けれども、私にとっての真駒内は、そうした歴史の年表ではなく、子どもの頃に見ていた風景そのものだ。
記憶のはじまり
もともとは北16条東7丁目あたりに住んでいたらしいが、その記憶はほとんどない。北海道大学のポプラ並木で撮った写真が残っているだけで、そこにいたはずの自分の記憶は不思議なほど空白だ。
はっきりと覚えているのは、真駒内に移ってからのことだ。
C団地という世界
団地はA、B、Cと順に造成され、私が住んでいたのはC団地だった。C団地は桜山の麓にあり、自然がすぐそばにあった。夏になると、たくさんのちょうちょやトンボが舞い、クワガタも飛んできた。草むらではキリギリスが鳴き、広場に行けばトノサマバッタが力強く跳ねていた。
C16の二階建ての長屋に、いくつもの家族が並んで暮らしていた。長尾さん、宮岡さん、林さん、森木さん――いまでも名前だけは鮮明に残っている。
全部で18棟、100世帯ほど。子どもたちが本当に多く、町全体に活気があった。
横につながる暮らし
二階建ての長屋で横に繋がっている暮らしは、どこか炭鉱住宅のような連帯感があった。壁一枚隔てた向こうに別の家族の気配があり、外に出ればすぐに誰かと顔を合わせる。
高層アパートのように上下に積み重なるのとは違い、横に広がる生活のつながりがあった。
家のつくりも素朴だった。一階に台所と居間があり、二階が寝床。風呂はなく、電話もない。それでも不便だと感じたことはあまりなかった。人の気配や声がすぐ近くにあることが、当たり前だったからだ。
学びと日常
幼稚園は真駒内幼稚園、小学校は真駒内小学校、中学校は真駒内中学校、そして真駒内曙中学校へと進み、高校は南校へ通った。幼稚園から高校二年生まで、実に12年以上をこの地で過ごしたことになる。
夏の夜には花火をし、街灯に集まるクワガタを追いかける。休みの日には「さとる君、あそぼう」と声がかかり、グラウンドで草野球をする。暗くなるまで遊ぶのが当たり前だった。
芝生の中の異国
自転車で走り回っていたのは、進駐軍が使っていた住宅跡。後に警察の宿舎となった場所だ。あたり一面が芝生で、石板の道が続いていた。ナナカマドやオンコの木が並び、まるでテレビで見たアメリカの住宅地のようだった。
その風景の中で過ごした時間が、いまでも鮮やかに残っている。
「端」に住む感覚
当時の真駒内は、いまよりもずっと「端」にある場所だった。市内に出るには、定山渓鉄道のマコナイ駅近くか、上町の商店街まで行ってバスに乗るしかない。真駒内の南の果てに住んでいる、そんな感覚があった。
高校のとき、今度は札幌の西の端である手稲へ移ることになる。そして、司法試験に合格するまで、そこに住み続けた。
振り返れば、私はいつも「端」に住んでいたのかもしれない。
変わるまち、残る記憶
オリンピックの開催が決まり、まちは一気に変わっていった。施設が建ち、団地が整備され、「五輪のまち」としての姿が形づくられていく。
けれども、私の中に残っている真駒内は、その前の、芝生が広がり、虫の音と子どもたちの声、そして人の気配が近くにあった住宅地の姿だ。
緑の中でよみがえるもの
いまは札幌の中心部に住んでいるが、大通公園の木々の間を歩いていると、ふと真駒内に住んでいた頃を思い出すことがある。
あのとき見ていた緑や風の感じが、どこかでつながっているのかもしれない。
まちは変わっていくものだが、原風景は変わらない。
それが、このまちが持つ、もう一つの姿なのだと思う。
医療事故・医療紛争はすぐに訴訟するべき?
医療紛争の早期解決に役立つ「民事調停」という選択
医療事故や医療トラブルが起きた場合、多くの方がまず思い浮かべるのは「裁判(医療訴訟)」かもしれません。
しかし、医療紛争の解決方法は訴訟だけではありません。実務上、民事調停という制度を利用することで、訴訟に進まず解決できる可能性もあります。民事調停は、裁判所が関与しながら当事者の話し合いによって解決を目指す制度であり、医療紛争においても重要な役割を果たし得る手続です。本稿では、医療事故の解決手段としての民事調停の意義と可能性について解説します。
医療紛争は専門性が高く、認識の違いが生じやすい
医療紛争の大きな特徴は、医学的専門性の高さです。
患者側としては「医療ミスではないか」と感じていても、医療機関側としては「医学的には問題のない処置である」と考えていることもあり、双方の認識に大きな隔たりが生じることも珍しくありません。
このような状況で、いきなり訴訟に進むと、
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争点の整理
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医学的評価の検討
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鑑定などの手続
に多くの時間と費用がかかることがあります。
そのため、まずは調停の場で事実関係や医学的評価を整理し、双方の理解を深めながら解決の可能性を探ることには大きな意味があります。
医師が関与する民事調停の仕組み
民事調停は、公開の法廷で行われる訴訟とは異なり、非公開の場で話し合いによる解決を目指す制度です。
調停では通常、裁判官、一般調停委員が関与しますが、医療紛争の場合には医療専門調停委員として医師が関与する場合が多くあります。
訴訟の場合、裁判官が医学的知見を得るためには鑑定などの手続が必要となり、審理が長期化することも少なくありません。
これに対し、民事調停では、医師の助言を踏まえながら議論を進めることができるため、より実質的な話し合いが可能になるという特徴があります。
医療側の説明で患者が理解することもある
医療調停の場では、医療機関側の考え方や医学的評価について説明が行われます。
患者側としても、その説明を聞くことで医療行為の背景や医学的判断を理解できる場合があります。
実務上、医療側が丁寧に説明することで患者が納得し、訴訟に至らず解決するケースも少なくありません。
つまり民事調停は、単に賠償額を決める場ではなく、相互理解を深める場でもあるのです。
民事調停を軽視してしまう医療機関もある
もっとも、実務の中では、残念ながら医療機関側が民事調停を十分に重視していないように見える対応に接することもあります。
例えば、調停を形式的な手続として扱う、十分な検討を行わない、早期解決の可能性を真剣に検討しない
といった対応です。
しかし民事調停は、訴訟に発展する前に問題を整理し、早期に解決できる可能性がある重要な手続です。
医療機関側が患者に対して丁寧に説明を行えば、患者側が理解し、訴訟に進まず問題が収まることもあります。
その意味で、調停の場を十分に活用しないことは、早期解決のチャンスを逃してしまうことにもつながりかねず、非常にもったいないと感じる場面もあります。
患者に強い言葉を向ける書面が提出されることも
さらに残念なことに、調停や交渉の場において、患者に対して強い言葉を用いた書面が提出されることもあります。
もちろん、医療機関として自らの立場を主張すること自体は当然です。しかし、医療事故や医療トラブルの背景には、患者や家族の大きな不安や苦しみがあることも少なくありません。そのような状況で強い表現が用いられると、紛争はむしろ深刻化してしまいます。
本来、調停は対立を深める場ではなく、冷静に問題を整理し、解決を模索する場であるはずです。
海外では医師が調停に積極的に関与している
海外では、医療紛争の解決において医師が調停手続に関与する制度が整備されている国もあります。
例えば、ドイツでは、医師会が中心となって医療紛争の調停・仲裁制度を運営しており、医師が専門家として関与しています。
また、韓国では「医療紛争調整仲裁院」という制度があり、医師などの医療専門家が紛争解決手続に関与しています。
このように、医療紛争においては医学的専門家の関与が制度的に重視されている国も少なくありません。
日本でも医師の関与をもっと広げるべき
日本の民事調停でも医療専門調停委員として医師が関与することはありますが、実務上は必ずしも十分とは言えない面もあります。
医療紛争の性質を考えると、医学的知見を踏まえた議論ができる環境を整えることは非常に重要です。
そのため、今後は、
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医療専門調停委員としての医師の関与をさらに広げること、現役医師だけでなく、現役を退いた経験豊富な医師にも調停委員として関与していただくこと
なども検討されてよいのではないかと思われます。
医療と法律の双方の視点が調停の場に存在することで、より実質的で納得感のある解決につながる可能性が高まるでしょう。
医療紛争は訴訟の前に解決できることもある
民事調停は、医学的知見を踏まえながら柔軟な解決を図ることができる制度であり、医療紛争において非常に有効な手続です。
また、仮に調停が成立しなかった場合でも、調停手続の中で争点整理が進むため、その後の訴訟手続が円滑に進むという利点もあります。
医療紛争は、患者側・医療側のいずれにとっても大きな負担となります。
だからこそ、訴訟に進む前の段階で、民事調停という制度を十分に活用し、冷静で建設的な解決を模索することが重要だといえるでしょう。
医療事故・医療トラブルのご相談について
医療事故や医療トラブルについては、医学的評価や法律的判断が複雑に絡み合うことが多く、専門的な検討が必要となります。
当事務所では、医療事故に関するご相談をお受けしています。
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医療ミスではないかと感じている
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医療機関の説明に納得できない
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訴訟をするべきか迷っている
このようなお悩みがある場合には、まずは一度ご相談ください。
状況に応じて、調停・交渉・訴訟など適切な解決方法をご提案いたします。
思い出ぼろぼろ・・洋楽とステレオと体育会
マンモス校だった真駒内中学
真駒内小学校から真駒内中学校へ進学した。
当時、周辺には真駒内中学校と平岸中学校しかなく、当初は真駒内中学校はマンモス校だった。クラスは10クラス近くあったように記憶している。その後、澄川中学校ができて生徒が分かれ、さらに札幌オリンピックの翌年には真駒内曙中学校も開校し、生徒は別れていった。
いま思えば、真駒内の街も学校も、ちょうど大きく変わりつつある時代だったのだと思う。
校庭で聴いた「レット・イット・ビー」
1971年、真駒内中学一年の夏である。
体育祭が終わったあとの校庭で、スピーカーから一曲の音楽が流れていた。
ビートルズの「レット・イット・ビー」。その時は、何の曲が、何を歌っているのか分からなかった。LP、LPと聞こえたので、LPレコードのことを歌っているのかと思ったくらいだ。
それまで洋楽にもビートルズにも、特別な興味はなかった。といか、世の中に流れていても耳に入っていなかった。しかし、その曲を耳にした瞬間、なぜか強く心を打たれた。
いまでも、そのとき自分が立っていたグラウンドの位置や校舎の形、夏の空気まで鮮明に思い出すことができる。音楽が、人の記憶とこんなにも深く結びつくものなのだと知った。
音楽室でのステレオによるレコード鑑賞会
同じ年、もう一つ印象に残っている出来事がある。
学校の音楽室で開かれた「ステレオレコード鑑賞会」である。
当時はまだ、家庭にステレオがある家はほとんどなかった。レコードを良い音で聴くこと自体が、少し特別な体験だったのである。最初はクラシック音楽だったが、最後にポピュラーも流してくれた。それが、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。
映画『卒業』のことも何も知らなかったが、その静かな歌声、ギターの音、絶妙なハーモニーに強く引き込まれた。その時の音楽室の雰囲気、そして音楽の先生の名前まで、いまでもよく覚えている。
ラジオが教えてくれた洋楽
それ以来、洋楽に興味を持つようになった。周囲の同級生も皆洋楽に興味を持ち始めた頃だった。
当時、ラジオには洋楽のランキング番組があり、
STVラジオの「こちらダイヤルリクエスト」という番組で、リスナーが電話で投票し、その数でランキングが決まるのだ。
その時、ラジオから流れてきたのは、
ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」、カーペンターズの「スーパースター」、エルトンジョン「It’s Me That You Need」等など。いま聴いても、どれも名曲ばかりである。
そして驚くことに、それらの多くが50年以上経った今でも輝きを失っていない。
団地の小さな部屋と大きなステレオ
どうしても自分の部屋で音楽を聴きたくなり、親に何度もお願いして、ついにステレオを買ってもらった。
札幌の街中にあったキクヤレコードで最初に買ったレコードは、クラシックの乙女の祈り、そして、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」と
ミッシェル・デルペッシュ「青春に乾杯」だったと思う。
いま思えば、団地の小さな部屋に、やけに大きなステレオが置かれていたものだ。
夜になると家族三人の布団を敷くのだが、大きなステレオが場所を取るので、布団を敷くスペースは本当に狭かった。
両親と自分の布団を並べて敷けば、もう隙間はほとんどない。
それでも、そのステレオから流れる音楽は、団地の小さな部屋を越えて、遠い外国の空気や広い世界を感じさせてくれた。
洋楽との出会いは、そんなところから始まったのである。
弁護士にとって、一年で1月は辛い季節です。
1月は「書面ラッシュ」の季節
毎年1月は、年末年始の時間を活用して大きな書面を提出する流れになることが多く、どうしても激務になりがちです。まとまった準備書面や主張整理を一気に仕上げるには、年末年始は貴重な作業時間でもあります。
しかし、その反動もあって、年明けは心身ともに負荷がかかりやすい時期でもあると感じています。
弁護士の仕事は作家と同じ「締切」に追われる仕事
弁護士という仕事は、どこか流行作家に似ている面があります。常に次の締切が控え、また次の締切が迫ってくる。気がつけば、〆切に追いまくられている生活です。
もちろん、こうしたスケジュールは、「健康に働けていること」を当然の前提として組まれています。体調を崩さず、予定どおり動けることが暗黙の前提になっているのです。
北海道の冬は体調管理が難しい時期
特に北海道の冬は、1月中旬から2月中旬――ちょうど雪まつりが終わる頃までが、体感的にも最も寒さの厳しい時期ではないでしょうか。
外気の低温、屋内外の温度差、乾燥した空気。こうした条件が重なることで、体力の消耗や免疫力の低下を実感しやすい季節でもあります。日々の業務に追われていると見落としがちですが、この時期は体調を崩しやすい「要注意期間」だと改めて感じています。
健康を崩すと一気に歯車が狂う
だからこそ、ひとたび健康を害すると、影響は小さくありません。風邪で数日寝込む――それだけでも、業務全体に大きな支障が出てしまいます。
弁護士業務は、完全に誰かに代わってもらえる性質の仕事ではありません。もちろん、代替できる場面もありますが、依頼者との関係、事件の経過把握、書面作成の文脈などを考えると、「簡単に交代」というわけにはいかないのが実情です。
正直なところ、「代わってもらえたらどれほどありがたいか」と思う場面がないわけではありません。それでも、最終的には自分で背負うしかない――そんな仕事でもあります。
人の体は絶妙なバランスの上にある
人というものは不思議なもので、たった一か所でも、痛いところ、痺れるところ、痒いところができるだけで、思いのほか強いストレスを感じてしまいます。
普段は意識しませんが、私たちは本当に絶妙なバランスの上で生活しているのだと、体調を崩したときに痛感します。
「健康は続く」とつい思い込んでしまう
健康な状態が続いていると、この状態がこのまま維持されるような気がしてしまいます。自分の年齢をどこかで忘れ、少々無理をしても大丈夫だろうと、つい過信してしまう。
今回は、まさにそれでした。無理が重なり、結果として風邪を引いてしまい、1月はその意味でもなかなか苦しい時間となりました。
いまされながら、だからこそ、何よりも健康
仕事の質も、判断力も、集中力も、すべては健康という土台の上に成り立っています。当たり前のことですが、忙しい時期ほど、この前提を見失いがちです。
北海道の厳冬期を乗り切るという意味でも、そして日々の実務を安定して続けていくためにも、改めて胸に刻みたい言葉があります。
一番大切なのは、やはり健康です。
皆様もご自愛ください。
最近の相談から・・・増える「道外からの法律相談」
ネット時代に増える「道外からの法律相談」
近年、ネット時代を反映してか、道外からの相談電話が増えているように感じます。相談内容を丁寧にうかがっているうちに、途中で遠方の方だと分かる、ということも珍しくありません。
かつては、物理的な距離が法律相談のハードルになっていました。しかし現在では、検索やオンライン相談の普及により、「まずは電話してみる」という行動の心理的障壁は大きく下がっています。その変化を、日々の実務の中で実感しています。
司法過疎地域に限らないという特徴
興味深いのは、これらの相談が、いわゆる司法過疎地域からに限らない点です。東京、千葉、名古屋といった大都市圏からの問い合わせも相当数あります。
しかも、札幌で起きた事件であるとか、北海道に住む家族の問題というわけでもなく、北海道に特段の縁もゆかりもない方からのご相談も少なくありません。インターネット検索の結果として、地理的な境界が以前ほど意識されなくなっていることの表れといえるでしょう。
医療事故分野で目立つADR・簡裁への関心
最近特に多いのは、医療事故に関する簡易裁判所の調停や、弁護士会の紛争解決センター(医療ADR)についてのお問い合わせです。
訴訟手続そのものは、細かな運用差はあるにせよ、基本的には全国で大きく変わるものではありません。しかし、簡易裁判所の調停運用や医療ADRの体制については、実は地域差が相当に大きいのが実情です。この点は、一般の方にはあまり知られていない部分かもしれません。
札幌における医師調停委員の特徴
例えば札幌では、医師が調停委員として関与する体制が比較的充実している点が特徴の一つです。医療案件において、医学的知見を有する委員が関与することは、事案理解の正確性や当事者双方の納得感の形成という意味で、一定の意義があります。
もっとも、これは全国一律ではありません。地域によっては医師調停委員の人数が限られていたり、医療ADRであっても医師が調停委員に入らない運用のところも少なくありません。
一方で、名古屋のように医師が調停委員として関与する体制を整えている地域もあり、同じ制度名であっても実際の運用には相当の幅があります。
まずは「地元の制度」を知ることから
このように、「ADR」や「調停」と一口にいっても、その実際の運用や専門家関与のあり方は地域ごとに大きく異なります。ネット検索だけでは見えにくい部分ですが、手続選択においては無視できない要素です。
全国どこからでも法律相談の入口にアクセスできる時代になりました。しかし、実際の紛争解決は、依然として各地域の制度的・人的基盤の上に成り立っています。
だからこそ、相談先を検討する際には、「どこに頼むか」と同時に、「どの地域の制度を使うのか」という視点も、今後ますます重要になっていくのではないかと感じています。
一月一言・・調停手続の実際・・調停手続重視主義
「法廷」のイメージと、ほんとうの調停
調停は“対決の場”ではない
調停は、非公開の部屋で行われます。
通常は、当事者が同じ部屋で顔を合わせることはありません。
申立人が調停委員に事情を説明し、その後、相手方が別室で話をする。
調停委員が双方の部屋を行き来しながら、意見を整理し、着地点を探っていく。
「相手の前で言いたいことを言わなければならないのですか」
この質問を、私は何度も受けてきました。
答えは明確です。そのような心配は不要です。
対面で言い争う場ではありません。
感情的な衝突を避けるためにこそ、調停という制度は設けられています。
よくある二つの不安
① 相手方が出頭しなければどうなるのか
実際には、まったく出頭しないという例はそれほど多くありません。
仮に出頭しなければ、それは「話し合いに応じる意思がない」という明確な態度表明になります。
その場合、申立人としては、ためらうことなく訴訟へ踏み切る判断ができます。
調停を経たという事実自体が、次の段階へ進むための整理になります。
② 不成立になったら意味がないのではないか
これも誤解です。
調停が不成立に終わったとしても、
相手方の具体的な主張や考え方を把握できることには大きな意味があります。
・どこが争点なのか
・どこに譲歩の余地があるのか
・本当に訴訟に進むべきか
・あるいは、別の解決策を模索すべきか
調停は、単なる「和解の場」ではなく、
自分の進むべき方向を見極めるためのプロセスでもあるのです。
調停をもっと重視して欲しい。
せっかく当事者が勇気を出して申し立てた調停。それに対して真摯に向き合っていただきたいと思いがあります。
調停で丁寧に説明を尽くせば、
訴訟に進まずに解決できるかもしれない。
あるいは、相手方が自らの立場を再考し、
無用な訴訟を断念するかもしれない。
訴訟は、時間も費用も、そして精神的な負担も大きい手続です。
それを回避できる可能性がある調停をもっと有効活用できないでしょうか。
「話し合い」という選択肢の重み
調停は、弱い手続ではありません。
むしろ、当事者の主体性を尊重する制度です。
裁判所が一方的に結論を下すのではなく、
当事者自身が納得のいく形を模索する。
その過程には、意味があります。
法廷のドラマチックなイメージとは異なり、
調停は静かな部屋で、淡々と、しかし真剣に進みます。
大声も、演説も、不要です。
必要なのは、自分の思いを整理し、言葉にすること。
そして、相手の主張を冷静に受け止めること。
調停は、対決の場ではなく、
未来を選ぶための場なのです。

