思い出ぼろぼろ・・洋楽とステレオと体育会
マンモス校だった真駒内中学
真駒内小学校から真駒内中学校へ進学した。
当時、周辺には真駒内中学校と平岸中学校しかなく、当初は真駒内中学校はマンモス校だった。クラスは10クラス近くあったように記憶している。その後、澄川中学校ができて生徒が分かれ、さらに札幌オリンピックの翌年には真駒内曙中学校も開校し、生徒は別れていった。
いま思えば、真駒内の街も学校も、ちょうど大きく変わりつつある時代だったのだと思う。
校庭で聴いた「レット・イット・ビー」
1971年、真駒内中学一年の夏である。
体育祭が終わったあとの校庭で、スピーカーから一曲の音楽が流れていた。
ビートルズの「レット・イット・ビー」。その時は、何の曲が、何を歌っているのか分からなかった。LP、LPと聞こえたので、LPレコードのことを歌っているのかと思ったくらいだ。
それまで洋楽にもビートルズにも、特別な興味はなかった。といか、世の中に流れていても耳に入っていなかった。しかし、その曲を耳にした瞬間、なぜか強く心を打たれた。
いまでも、そのとき自分が立っていたグラウンドの位置や校舎の形、夏の空気まで鮮明に思い出すことができる。音楽が、人の記憶とこんなにも深く結びつくものなのだと知った。
音楽室でのステレオによるレコード鑑賞会
同じ年、もう一つ印象に残っている出来事がある。
学校の音楽室で開かれた「ステレオレコード鑑賞会」である。
当時はまだ、家庭にステレオがある家はほとんどなかった。レコードを良い音で聴くこと自体が、少し特別な体験だったのである。最初はクラシック音楽だったが、最後にポピュラーも流してくれた。それが、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。
映画『卒業』のことも何も知らなかったが、その静かな歌声、ギターの音、絶妙なハーモニーに強く引き込まれた。その時の音楽室の雰囲気、そして音楽の先生の名前まで、いまでもよく覚えている。
ラジオが教えてくれた洋楽
それ以来、洋楽に興味を持つようになった。周囲の同級生も皆洋楽に興味を持ち始めた頃だった。
当時、ラジオには洋楽のランキング番組があり、
STVラジオの「こちらダイヤルリクエスト」という番組で、リスナーが電話で投票し、その数でランキングが決まるのだ。
その時、ラジオから流れてきたのは、
ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」、カーペンターズの「スーパースター」、エルトンジョン「It’s Me That You Need」等など。いま聴いても、どれも名曲ばかりである。
そして驚くことに、それらの多くが50年以上経った今でも輝きを失っていない。
団地の小さな部屋と大きなステレオ
どうしても自分の部屋で音楽を聴きたくなり、親に何度もお願いして、ついにステレオを買ってもらった。
札幌の街中にあったキクヤレコードで最初に買ったレコードは、クラシックの乙女の祈り、そして、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」と
ミッシェル・デルペッシュ「青春に乾杯」だったと思う。
いま思えば、団地の小さな部屋に、やけに大きなステレオが置かれていたものだ。
夜になると家族三人の布団を敷くのだが、大きなステレオが場所を取るので、布団を敷くスペースは本当に狭かった。
両親と自分の布団を並べて敷けば、もう隙間はほとんどない。
それでも、そのステレオから流れる音楽は、団地の小さな部屋を越えて、遠い外国の空気や広い世界を感じさせてくれた。
洋楽との出会いは、そんなところから始まったのである。
弁護士にとって、一年で1月は辛い季節です。
1月は「書面ラッシュ」の季節
毎年1月は、年末年始の時間を活用して大きな書面を提出する流れになることが多く、どうしても激務になりがちです。まとまった準備書面や主張整理を一気に仕上げるには、年末年始は貴重な作業時間でもあります。
しかし、その反動もあって、年明けは心身ともに負荷がかかりやすい時期でもあると感じています。
弁護士の仕事は作家と同じ「締切」に追われる仕事
弁護士という仕事は、どこか流行作家に似ている面があります。常に次の締切が控え、また次の締切が迫ってくる。気がつけば、〆切に追いまくられている生活です。
もちろん、こうしたスケジュールは、「健康に働けていること」を当然の前提として組まれています。体調を崩さず、予定どおり動けることが暗黙の前提になっているのです。
北海道の冬は体調管理が難しい時期
特に北海道の冬は、1月中旬から2月中旬――ちょうど雪まつりが終わる頃までが、体感的にも最も寒さの厳しい時期ではないでしょうか。
外気の低温、屋内外の温度差、乾燥した空気。こうした条件が重なることで、体力の消耗や免疫力の低下を実感しやすい季節でもあります。日々の業務に追われていると見落としがちですが、この時期は体調を崩しやすい「要注意期間」だと改めて感じています。
健康を崩すと一気に歯車が狂う
だからこそ、ひとたび健康を害すると、影響は小さくありません。風邪で数日寝込む――それだけでも、業務全体に大きな支障が出てしまいます。
弁護士業務は、完全に誰かに代わってもらえる性質の仕事ではありません。もちろん、代替できる場面もありますが、依頼者との関係、事件の経過把握、書面作成の文脈などを考えると、「簡単に交代」というわけにはいかないのが実情です。
正直なところ、「代わってもらえたらどれほどありがたいか」と思う場面がないわけではありません。それでも、最終的には自分で背負うしかない――そんな仕事でもあります。
人の体は絶妙なバランスの上にある
人というものは不思議なもので、たった一か所でも、痛いところ、痺れるところ、痒いところができるだけで、思いのほか強いストレスを感じてしまいます。
普段は意識しませんが、私たちは本当に絶妙なバランスの上で生活しているのだと、体調を崩したときに痛感します。
「健康は続く」とつい思い込んでしまう
健康な状態が続いていると、この状態がこのまま維持されるような気がしてしまいます。自分の年齢をどこかで忘れ、少々無理をしても大丈夫だろうと、つい過信してしまう。
今回は、まさにそれでした。無理が重なり、結果として風邪を引いてしまい、1月はその意味でもなかなか苦しい時間となりました。
いまされながら、だからこそ、何よりも健康
仕事の質も、判断力も、集中力も、すべては健康という土台の上に成り立っています。当たり前のことですが、忙しい時期ほど、この前提を見失いがちです。
北海道の厳冬期を乗り切るという意味でも、そして日々の実務を安定して続けていくためにも、改めて胸に刻みたい言葉があります。
一番大切なのは、やはり健康です。
皆様もご自愛ください。
最近の相談から・・・増える「道外からの法律相談」
ネット時代に増える「道外からの法律相談」
近年、ネット時代を反映してか、道外からの相談電話が増えているように感じます。相談内容を丁寧にうかがっているうちに、途中で遠方の方だと分かる、ということも珍しくありません。
かつては、物理的な距離が法律相談のハードルになっていました。しかし現在では、検索やオンライン相談の普及により、「まずは電話してみる」という行動の心理的障壁は大きく下がっています。その変化を、日々の実務の中で実感しています。
司法過疎地域に限らないという特徴
興味深いのは、これらの相談が、いわゆる司法過疎地域からに限らない点です。東京、千葉、名古屋といった大都市圏からの問い合わせも相当数あります。
しかも、札幌で起きた事件であるとか、北海道に住む家族の問題というわけでもなく、北海道に特段の縁もゆかりもない方からのご相談も少なくありません。インターネット検索の結果として、地理的な境界が以前ほど意識されなくなっていることの表れといえるでしょう。
医療事故分野で目立つADR・簡裁への関心
最近特に多いのは、医療事故に関する簡易裁判所の調停や、弁護士会の紛争解決センター(医療ADR)についてのお問い合わせです。
訴訟手続そのものは、細かな運用差はあるにせよ、基本的には全国で大きく変わるものではありません。しかし、簡易裁判所の調停運用や医療ADRの体制については、実は地域差が相当に大きいのが実情です。この点は、一般の方にはあまり知られていない部分かもしれません。
札幌における医師調停委員の特徴
例えば札幌では、医師が調停委員として関与する体制が比較的充実している点が特徴の一つです。医療案件において、医学的知見を有する委員が関与することは、事案理解の正確性や当事者双方の納得感の形成という意味で、一定の意義があります。
もっとも、これは全国一律ではありません。地域によっては医師調停委員の人数が限られていたり、医療ADRであっても医師が調停委員に入らない運用のところも少なくありません。
一方で、名古屋のように医師が調停委員として関与する体制を整えている地域もあり、同じ制度名であっても実際の運用には相当の幅があります。
まずは「地元の制度」を知ることから
このように、「ADR」や「調停」と一口にいっても、その実際の運用や専門家関与のあり方は地域ごとに大きく異なります。ネット検索だけでは見えにくい部分ですが、手続選択においては無視できない要素です。
全国どこからでも法律相談の入口にアクセスできる時代になりました。しかし、実際の紛争解決は、依然として各地域の制度的・人的基盤の上に成り立っています。
だからこそ、相談先を検討する際には、「どこに頼むか」と同時に、「どの地域の制度を使うのか」という視点も、今後ますます重要になっていくのではないかと感じています。
一月一言・・調停手続の実際・・調停手続重視主義
「法廷」のイメージと、ほんとうの調停
調停は“対決の場”ではない
調停は、非公開の部屋で行われます。
通常は、当事者が同じ部屋で顔を合わせることはありません。
申立人が調停委員に事情を説明し、その後、相手方が別室で話をする。
調停委員が双方の部屋を行き来しながら、意見を整理し、着地点を探っていく。
「相手の前で言いたいことを言わなければならないのですか」
この質問を、私は何度も受けてきました。
答えは明確です。そのような心配は不要です。
対面で言い争う場ではありません。
感情的な衝突を避けるためにこそ、調停という制度は設けられています。
よくある二つの不安
① 相手方が出頭しなければどうなるのか
実際には、まったく出頭しないという例はそれほど多くありません。
仮に出頭しなければ、それは「話し合いに応じる意思がない」という明確な態度表明になります。
その場合、申立人としては、ためらうことなく訴訟へ踏み切る判断ができます。
調停を経たという事実自体が、次の段階へ進むための整理になります。
② 不成立になったら意味がないのではないか
これも誤解です。
調停が不成立に終わったとしても、
相手方の具体的な主張や考え方を把握できることには大きな意味があります。
・どこが争点なのか
・どこに譲歩の余地があるのか
・本当に訴訟に進むべきか
・あるいは、別の解決策を模索すべきか
調停は、単なる「和解の場」ではなく、
自分の進むべき方向を見極めるためのプロセスでもあるのです。
調停をもっと重視して欲しい。
せっかく当事者が勇気を出して申し立てた調停。それに対して真摯に向き合っていただきたいと思いがあります。
調停で丁寧に説明を尽くせば、
訴訟に進まずに解決できるかもしれない。
あるいは、相手方が自らの立場を再考し、
無用な訴訟を断念するかもしれない。
訴訟は、時間も費用も、そして精神的な負担も大きい手続です。
それを回避できる可能性がある調停をもっと有効活用できないでしょうか。
「話し合い」という選択肢の重み
調停は、弱い手続ではありません。
むしろ、当事者の主体性を尊重する制度です。
裁判所が一方的に結論を下すのではなく、
当事者自身が納得のいく形を模索する。
その過程には、意味があります。
法廷のドラマチックなイメージとは異なり、
調停は静かな部屋で、淡々と、しかし真剣に進みます。
大声も、演説も、不要です。
必要なのは、自分の思いを整理し、言葉にすること。
そして、相手の主張を冷静に受け止めること。
調停は、対決の場ではなく、
未来を選ぶための場なのです。
一月一言・・・「討論ができない日本社会」選挙期間が終わって
討論ができない社会
1 選挙が映し出したもの
衆議院選挙が終わった。今回の選挙を通じて強く感じたのは、私たちの社会が「討論」を極めて苦手としているという現実である。
意見の対立が生じたとき、冷静な議論に進む前に感情が前面に出てしまう。相手を攻撃する、反論をかわす、あるいは最初から議論の場を避ける。「話し合い」という言葉は用いられるが、その多くは感情論の応酬にとどまり、討論とは呼び難い。
2 裁判という討論の場
裁判手続は、そうした社会の姿とは対照的である。裁判は、討論を制度として組み込んだ手続であり、主張と反論、再反論を積み重ねることで進行する。
その過程で、依頼者自身が「この事件は勝てる」「これは厳しい」という現実的な見通しを持つようになることも少なくない。感情としては納得できない結論であっても、法律と証拠に照らせば有利か不利かは明らかになる。裁判は、感情ではなく、法に基づいて冷静に現実を直視する場である。
3 感情に流される主張への違和感
本来、裁判では感情に任せた主張は通用しない。何を根拠に、どの事実を、どのような法律構成で主張するのかが厳しく問われる。
それでも近年、感情的な主張が前面に出る場面が増えている。法的整理よりも感情的な訴えが強調され、議論がかみ合わない。弁護士として、そのような状況に閉口することも少なくない。
4 アンケート調査だけが踊る社会
社会全体に目を向けると、同じ構図が見えてくる。報道では連日のように世論調査の結果が伝えられるが、それによって社会が置かれている客観的な状況が正確に理解できているかというと疑問が残る。
数字の上下が強調される一方で、その背景や長期的な影響についての冷静な分析は乏しい。目の前の反応や感情が増幅され、議論の前提となる事実や構造が置き去りにされている。
5 熱狂の先に何が残るのか
人々が熱狂したものの先に、何が残るのかという視点は、しばしば忘れられる。国鉄民営化、郵政民営化、そして現在進められている裁判所のIT化も、その例であろう。
当時は「改革」として喝采を浴びたこれらの施策が、結果として何をもたらしたのか。本当に社会全体にとって望ましい成果が得られたのか。その評価は、感情や雰囲気ではなく、時間をかけた検証によって初めて可能になる。
6 一歩先の社会を読むということ
目の前の便利さや分かりやすいスローガンに流されるのではなく、「その先に何があるのか」「将来の社会にどのような影響を及ぼすのか」と、もう一歩先を読む姿勢があれば、議論のあり方も変わってくるはずである。
討論を通じて最善の方法を探るという営みは、人類が長い時間をかけて培ってきた知恵である。しかし、その知恵が軽視され、感情に流されるまま集団で同じ方向へ進み、やがて行き詰まる。その結果、かつて通った道を再び歩むことになる。
7 歴史に学ぶしかない
結局のところ、熱狂の是非を判断するためには、歴史を学び、結果を冷静に振り返るしかない。何が語られ、何が実行され、そして何が残ったのか。その積み重ねの中にしか、答えは存在しない。
裁判が示しているのは、対立を避けることではなく、言葉と論理で向き合い、検証し続けることの重要性である。討論を重ねることでしか見えてこない現実がある。その視点を社会全体で共有できるかどうかが、これからの行方を左右するのではないだろうか。
一月一言 雪まつりの思い出〜自衛隊・真駒内駐屯地の雪まつり〜
雪まつりの思い出
自衛隊前会場という原風景
小学校の頃、雪まつりといえば自衛隊前会場だった。通っていた真駒内小学校から自衛隊駐屯地は目と鼻の先だった。
二十基を超える大小の雪像が並び、友だち同士で「何回行った?」と競うように通った。自衛官の息子と一緒に前日に基地に入れてもらい、すべり台を思う存分滑った記憶がある。中でも、タイガーマスクの雪像が素晴らしく、いまも強く印象に残っている。
映画館と、地域のにぎわい
会場では基地内の映画館も開放されていて満員だった。『アルプスの若大将』が上映されていた。
小学生だけでなく、近所の人たちも集まり、会場はいつも人であふれていた。雪まつりは、特別な観光行事というより、地域全体の冬の祝祭だった。
失われた風景と、ユートピアの記憶
時は経ち、やがて自衛隊前会場はなくなり、大通でも自衛隊が手がける大雪像はわずかになってしまった。
いま振り返ると、訓練の一環とはいえ、自衛隊が雪像づくりに全力を注げた時代は、ある種のユートピアだったのだと思う。
戦後二十五年という時間
当時は戦後二十五年。救世軍の姿が街にあり、傷痍軍人もいた。安保闘争の余韻も残っていた。
戦争に駆り出される年齢に、平和な時代を生きられたことは、幸甚としか言いようがないのかもしれない。そう考えると、いまの子どもたちは、あまりにも厳しい時代を迎えようとしているような気がする。
戦争が嫌うもの
戦前、多くの弁護士が戦争に行き、弾よけとして使われた――そんな話を大先輩から聞いたことがある。
戦争において、考える者は不都合な存在だ。弁護士は、軍隊では弾よけ程度にしか利用価値はなかったようだ。神風特攻隊に疑問を抱き、出撃しなかった人の多くが学徒出陣組だったというドキュメンタリーもある。
辺境に生きるという知恵
内田樹氏は『日本辺境論』で、日本は世界の辺境にある国だと述べている。
世界の中心だと思い込むと、誤解と悲劇を生む。大輪の花を咲かせる必要はない。世界の片隅で、分相応にひっそりと咲けばいい。
インテリジェンスという抵抗
戦争にあがなう方法があるとすれば、それはインテリジェンスしかないように思う。
それは高度な知性である必要はない。ほんの少し顔を出して、キョロキョロと周囲の国々の情勢、そして、日本のおかれている客観的情勢を見極めること。それは受動的ではなく、能動的に情報をみることだと思う。ちょっと深く読み込めば良い。
一月一言・・・映画『砂の器』と、法律における「背景」
風景が語るもの――映画『砂の器』と、法律における「背景」
映画**砂の器**を初めて観たのは、大学生の頃でした。
今はもう存在しない、札幌駅南口から北口へ抜ける地下通路にあった映画館、テアトル「ポー」。封切り料金の半額ほどで観られることもあり、館内は満員で、私は人生で初めて立ち見で映画を観ました。身体は疲れているのに、目だけは画面から離れられなかった。その感覚は、今もはっきりと残っています。
「砂の器」といえば、犯罪と宿命を描いた重厚な物語として語られることの多い作品です。しかし、年齢を重ねてから思い返すと、この映画の本当の力は、別のところにあったのではないかと感じるようになりました。
それは、いわゆる**“B班”による背景撮影**の圧倒的な力です。
父と子が歩いた、日本の四季
父と子が歩く、日本各地の風景。
山間の道、川辺、雪の降る村。
春の芽吹き、夏の光、秋の夕暮れ、そして冬の白さ。
それらは物語の合間に、静かに、しかし確実に差し込まれていきます。
この背景描写は、単なる情緒的な映像美ではありません。むしろ、台詞以上に雄弁に、父と子の運命を語っているように思えるのです。
ここで、背景は何も「説明」していません。
ただ、そこに存在しているだけです。
しかし、その存在そのものが、父子の宿命をより深く浮かび上がらせているのです。
違和感さえも、時代の「記録」
学生の頃の私は、物語の筋や犯行のトリックに心を奪われていました。ところが今観返すと、島田陽子さん演じる女性の存在や、彼女が置かれている立場に強い違和感を覚えるようになりました。
我賀英良に都合よく利用され、それでも付き従う姿。今は亡島田陽子さんの存在感が光ります。
一方で、政治家の令嬢という婚約者の前では、まったく異なる力関係が成立している。
けれども、この違和感は作品の価値を下げるものではありません。むしろ逆です。
「砂の器」は、当時の価値観や人間関係を、善悪の評価を挟まず、風景とともにそのまま記録してしまった。その点で、この映画は非常に誠実な作品だと感じます。
背景があるから、行為は理解できる
重要なのは、背景描写があるからこそ、登場人物の行動が理解できるという点です。
もし、父と子の放浪が簡単な説明だけで処理されていたら、観客はここまで深く「運命」を感じ取ることはできなかったでしょう。
そしてこれは、法律の世界でもまったく同じです。
裁判では、「事実が重要だ」「証拠がすべてだ」と言われます。確かにそれは正しい。
しかし、その事実や証拠が、どのような背景の中で生じたのかを理解しなければ、判断は平板になり、ときに不公平なものになります。
同じ行為であっても、
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どのような経緯で起きたのか
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当事者は、どんな人生を歩んできたのか
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他に選択肢は本当にあったのか
それらを知って初めて、行為の意味が立ち上がってくるのです。
法律家の仕事と、B班の仕事
法律家の仕事は、条文を機械的に当てはめることではありません。
依頼者の人生という「背景」を、言葉と構造にして裁判所に示すこと――それが本質です。
この役割は、映画におけるB班の仕事によく似ています。
主役を目立たせるために、黙々と風景を撮り続ける。
その積み重ねが、物語全体の説得力を決定づける。
背景事情を軽視すれば、法律は冷酷になります。
しかし、背景ばかりを語っても、法の判断は成立しません。
必要なのは、その両立です。
法律にも、風景がある
「砂の器」は、犯罪映画であると同時に、背景が人間を形づくるという事実を、四季の移ろいによって語った作品でした。説明はなくとも、観る側は自然と理解してしまう。なぜ彼らが、その道を歩まなければならなかったのかを。
私は今、法律家として、あのB班の映像を思い出します。
そして、こう考えるのです。
法律問題においても、背景を知る努力を怠ってはいけない。
背景の中にこそ、人がそうせざるを得なかった理由がある。
テアトルポーで立ち見をしながら感じた、あの圧倒的な余韻。
それは、物語の外側に広がる風景が、静かに語りかけてきたものだったのかもしれません。
法律もまた、風景を持っています。
その風景に目を向けること――それが、公平で、人間的な解決への第一歩なのだと思います。
一月一言 NHK土曜ドラマ「男たちの旅路」から考える法律手続
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正面から語るということ
NHKの土曜ドラマ 男たちの旅路 は、何度再放送を観ても心に残る作品です。
鶴田浩二演じる主人公のもとに、水谷豊、森田健作、桃井かおり、柴俊夫ら若者たちが集い、警備会社のガードマンという仕事を通じて、本音と本音をぶつけ合っていきます。登場人物たちは決して器用ではありません。
しかし、不器用だからこそ、逃げずに相手と向き合い、言葉を尽くそうとします。
その姿は、今の時代だからこそ、強く胸に迫ってきます。「言わない」か「言い過ぎる」かの社会
現代社会では、意見の対立そのものは珍しくありません。
ただ、その多くは、相手を前にした対話ではなく、SNSなどの間接的な場で表明されます。画面の向こうでは強い言葉を使えても、本人を前にすると何も言えない。
あるいは、感情が先に立ち、必要以上に激しい言葉になってしまう。
その結果、「何も言わない」か「言い過ぎる」か、極端な選択になりがちです。「男たちの旅路」が描く世界は、その正反対にあります。
逃げ場のない場所での対話
ドラマの中では、同じ現場で働き、同じ時間を共有する中で、価値観の違いが必ず表に出ます。
不満があれば口に出す。
反論されれば、さらに言葉を探す。沈黙や陰口では、その場は通り過ぎられません。
だからこそ、言葉には重みが生まれ、対話は簡単ではなくなります。
この「正面から語り合う」姿勢こそが、この作品の本質だと感じています。裁判という対話の場
私は弁護士として、裁判の場に日々立ち会っています。
裁判もまた、「正面から語ること」を求められる場所です。裁判では、自分の考えを整理し、言葉として相手に示さなければなりません。
同時に、相手の主張を正面から受け止め、その意味を理解する必要があります。
これは決して簡単なことではありません。弁護士の役割は、依頼者の感情をそのままぶつけることではありません。
お気持ちを丁寧に整理し、法的な「主張」として言葉にすること。
そして、相手の主張を冷静に読み解き、どこで歩み寄り、どこで線を引くのかを一緒に考えることです。言葉の品格が問われる時代に
近年、裁判書類の中にも、感情的で攻撃的な表現が目立つことがあります。
まるでSNSの延長のような言葉遣いを見ると、強い違和感を覚えます。裁判は、叫び合う場ではありません。
対立を整理し、社会としての答えを導くための制度です。
そのためには、冷静さと、相手への敬意、そして言葉の品格が欠かせません。今も問いかけ続けるドラマ
「男たちの旅路」は、決して古い時代の熱血ドラマではありません。
正面から語ることの難しさと、その尊さを、今もなお私たちに問いかけ続けています。だからこそ、再放送のたびに、つい見入ってしまうのだと思います。
ゴダイゴの ミッキー吉野 による音楽も、この作品の空気を静かに、深く支えています。
一月一言 「患者の権利を知って自分と家族を護る。」〜違和感を大切に〜
患者の権利を知って、自分や家族を守りませんか。
「先生にお任せします。」は見直しを
病院で医師から説明を受けたとき、
「先生にお任せします」そう言ってしまうことはありませんか。
日本では、特に北海道では、医師を信頼し、判断を委ねることが良いことだと考えられてきたように思えます。
けれども、すべてをお任せにしてしまうことが、必ずしも患者さん自身を守るとは限りません。実は、患者さんには、これから受ける医療についても、すでに受けた医療についても、医師に説明を求める権利があります。これは「自己決定権」と呼ばれるもので、「自分の人生や身体について、自分で決める権利」です。ですから、遠慮する必要はありません。分からないことは、聞いてもいいのです。
医師に質問することは、失礼ではありません
医師に説明を求めると、「忙しそうだから悪い」「疑っていると思われないだろうか」と不安になる方も多いと思います。でも、質問することは、医師を責めることでも、信頼していないという意味でもありません。自分の身体を大切にしている、当たり前の行動です。どんな治療なのか。ほかに選択肢はあるのか。どんなリスクやメリットがあるのかそれを知ったうえで治療を受けることは、とても大切です。医師の側も、患者ときちんとコミュニケーションをとって、医療行為を患者に理解してもらえれば、後日、誤解に基づく責任追及トラブルなどなくなるはずです。私も、左肩にできた骨棘を切除する手術を受けたりするなど様々な医療を受けていますが、分からないときは遠慮無く医師に説明を求めています。
カルテを見せてもらうこともできます
患者さんは、カルテの開示を求めることもできます。カルテは医師だけのものではなく、患者さん自身のためのものです。「カルテを見せてください」そう言うことは、特別な要求ではありません。治療内容を振り返り、納得するためにも、大切な権利です。実際、医師から嫌われると大変だと考えて、カルテの開示をする事さえ躊躇してしまうという方が多いのは、残念なことです。
家族が病院で亡くなったとき
もし、ご家族が病院で亡くなった場合、遺族として、どのような経過で亡くなったのかについて説明を求めることができます。
「もう終わったことだから」「波風を立てたくないから」と、何も聞かずに終わらせてしまう方も少なくないように思われます。しかし、説明を求めることは、誰かを責めるためだけのものではありません。納得するため、気持ちに区切りをつけるためにも、大切なことです。経過が予想されていなかったものであれば、医療法に基づき、医療機関は原因を調べることが求められます。患者さんや遺族が直接「調査しなさい」と命じることはできませんが、調査を求め、促すことはできます。
北海道で感じる「お任せ診療」の影
北海道では、医療法上は調査が必要なケースでも、調査が行われていないことが少なくないと言われています。実際に相談を受けていても、そのように感じることがあります。患者さんの権利自体は、法律や裁判例でしっかり認められています。それが活かされていないのは、患者の側に、医療は医師に「お任せするのが当たり前」という意識が強いからかもしれません。自己決定するということは、自分の選択結果を自分の責任として受け入れるという側面があるのは確かです。だから、もしかしたら、それから逃げたくなってお任せ医療になっているのかも知れません。医師から説明を受けても結局患者は医師の意見に従うものだから、説明義務違反による損害を賠償することは難しいと明言する方もいますが、とんでもないことだと思っています。患者には自己決定権があります。それを無視した論理は不可解です。
患者が関わることで防げる事故もあります
医療事故は、医師だけの問題ではありません。患者さんが医療に関心を持つことで、防げる事故もたくさんあります。「いつもと違う薬が出ている」「説明と違うことが行われている気がする」そんな小さな気づきが、事故を防ぐこともあります。患者の取り違えや、手術部位の取り違えは患者の協力で防げる部分が多いとも考えられています。
「何かがおかしい」と感じたら
事故が起きても、医療機関は、何事もなかったように振る舞うことが少なくありません。そのため、事故に気づかずに終わったり、
モヤモヤしたまま言い出せないまま終わってしまうことがあります。「何かおかしい」そう感じた直感を、大切にしてください。まずは、冷静に医師に説明を求める。必要であれば、原因を調べてもらうようお願いしてみる。それでも納得できなければ、弁護士など専門家に相談する。それは、決して大げさな行動ではありません。自分と家族を守るための、正当な行動です。患者の権利を知ることは、争うためではありません。後悔しないために、静かに自分を守るための知識です。
「患者自身やその家族」のためではなく、他の患者さんを救う道
医療事故訴訟によって、被害回復をすることは、患者自身や患者家族にとってとても大切ですが、その病院に通われている多くの患者さんの達の生命や身体を救うことになると思います。また、医療機関にとっても、責任が認められる、認められないとは無関係に、患者が医療が原因で死亡したり、大きな後遺障害を負ったとき、真摯に原因を究明して、再発を防止するということが一番大切なはずです。一月一言 テレビ映画「タイムトンネル」から考える法律問題
- 小学校高学年の頃、アメリカのテレビ番組「トニーとダグのタイムトンネル」を、一生懸命見ていました。この作品がアメリカで制作・放映されたのは1966年、日本で放映が始まったのは1967年です。今から半世紀以上も前のテレビ番組ですが、その印象はいまなお鮮明に残っています。
- 当時は、今のような録画機器も配信サービスもありません。見逃したら、基本的に次はない。だから外出先から帰ると、決まった時間にテレビの前に座り込み、まさに“かじりつくように”画面を見つめていました。同じような記憶を持つ方は、決して少なくないと思います。
- 「タイムトンネル」は、アメリカではABC放送網で放映され、当時としては大掛かりなセットと映像効果を用いたSFドラマでした。1960年代のアメリカは、冷戦の只中であり、宇宙開発競争が激化し、科学技術への期待と不安が同時に高まっていた時代です。そうした空気の中で、「時間を超える」というテーマは、多くの視聴者の関心を強く引きつけました。実際、放映当初の人気は高く、歴史上の人物や事件を次々と題材にする構成は、毎週のように話題を呼びました。テレビドラマでありながら、ショーとしての面白さと、知的好奇心を刺激する要素を兼ね備えていた点が評価されていたのです。日本での人気も、決して小さなものではありませんでした。
- 吹き替えによる放映でしたが、当時の日本の子どもたちにとって、「世界史」を映像で体験できる番組は極めて貴重でした。リンカーン、ナポレオン、第一次世界大戦、古代文明――教科書では理解しきれない世界史の出来事が、物語として目の前に現れたのです。
- トニーとダグは、謎の装置「タイムトンネル」によって、過去や未来の歴史的事件の真っただ中へ放り込まれます。行き先は選べず、戻る時代もわからない。彼らが立たされるのは、いつも人類史の転換点でした。この設定自体が、1960年代という時代を考えれば、きわめて先進的だったと言えるでしょう。
- この番組は、単なるSF娯楽にとどまりませんでした。 教科書では数行で済まされる出来事が、実在の人物や市井の人間の恐怖や混乱を伴って描かれる。だからこそ、歴史が「年号の暗記」ではなく、「人間の選択と結果の積み重ね」であることを、自然と学ばせてくれたのだと思います。中でも忘れられないのが、リンカーン暗殺とタイタニック号遭難です。トニーとダグは、いずれも結末を知っています。リンカーンが暗殺されることを。タイタニック号が氷山に衝突し、多くの命が失われることを。それでも、彼らはその歴史を止めることができませんでした。警告はしました。必死に訴えもしました。しかし、歴史の大きな流れは変わらない。ほんの少しの判断の遅れ、慢心、前例への過信が、取り返しのつかない結果を生んでいく。その無力さを、子ども心に強く感じた記憶があります。
- この「止められなかった」という構造こそが、「タイムトンネル」を特別な作品にしています。その後、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に代表されるように、タイムマシンを題材にした映画は、ハリウッドで繰り返し作られました。そこでは、過去に戻れば未来を変えられるという爽快で希望に満ちた構図が描かれます。「人生はやり直せる」というメッセージは、多くの人を勇気づけました。
- しかし、「タイムトンネル」は違いました。トニーとダグは、原則として歴史を変えることができません。未来を知っていても、結末は回避できない。ただその渦中で、目の前の誰かを救うこと、被害を少しでも小さくすることしか許されていなかった。この点で、この番組はきわめて現実的で、思想的にも非常に先進的だったと言えます。今あらためて振り返ると、トニーとダグは「歴史を救う英雄」ではありません。むしろ彼らは、「未来を知っていながら、間に合わなかった人間」の象徴だったように思います。
- この構図は、法律相談の現場で、何度も何度も目にします。相続手続きを長年放置した結果、相続人同士の関係が修復不能になってしまったケース。離婚後の財産分与や年金分割を先送りにしたことで、後になって大きな不利益を被るケース。不動産の名義変更を怠ったまま、次の世代に重い問題を残してしまうケース。
- 「問題があることは分かっていました」 「いずれやらなければと思っていました」 「でも、まだ大丈夫だと思っていました」
- 危険は見えていた。警告もあった。それでも「今回は大丈夫だろう」と判断され、結果として悲劇が起きたのです。
- 法律は、起きてしまった出来事をなかったことにはできません。リンカーン暗殺を止められなかったように、事故や対立を「なかった歴史」に書き換えることはできない。しかし、被害の広がり方や、その後の人生の重さは変えられる。それが法律の役割です。タイムトンネルがもし現実にあれば、私たちは過去に戻って選択をやり直せるかもしれません。ですが、現実にはそんな装置は存在しません。だからこそ、契約書があり、期限があり、専門家への相談がある。法律は、巻き戻しのできない人生に対する、一つの予防装置なのです。
- 子どもの頃、トニーとダグが「あと少し早ければ救えたかもしれない」場面に、私たちは悔しさを覚えながら見ていました。大人になった今、その立場に自分自身が立っていないか。そう問い直すことは、決して無駄ではありません。タイムトンネルは現実にはありません。しかし、「今」という時間だけは、誰にでも確かに与えられています。問題がまだ小さいうちに立ち止まり、考え、動く。その選択が、未来を大きく変えることもあるのです。

