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2025.12.31

一月一言 映画『ソイレント・グリーン』(1973年)からインフォームドコンセントを考える。

映画『ソイレント・グリーン』(1973年)は、2022年のニューヨークを舞台に、人口爆発と環境破壊により人々が深刻な食糧不足に陥った社会を描くSF作品です。物語の終盤で明かされる衝撃的な真実は有名です。この映画が本当に問いかけているのは、「人は、知らされないまま選ばされることの恐ろしさにあるのかもしれません。当時、中学三年生頃だったのですが、映画館で観て、大きなショックを受けたことを覚えています。特に、老人が安楽死を決意した時、1人だけの劇場で、環境破壊前の豊かな自然が映し出された映画をみて死んでいくのは、感慨深かった記憶があります。

医療の現場には「インフォームド・コンセント」という考え方があります。「治療を受けるかどうかは患者本人が決める。しかし、その前提として、医師は治療内容、効果、リスク、代替手段などについて十分に説明しなければならない。」ということです。説明を欠いた同意は、形式的に同意書があったとしても、真の意味での自己決定とは言えないのです。

『ソイレント・グリーン』の社会では、人々は生存のために配給される食品を口にしている。選択の余地はほとんどなく、しかもその食品の「本当の原料」は完全に隠蔽されている。これは、まさにインフォームド・コンセントが完全に否定された世界です。重要なのは、ここに暴力的な強制はほとんど登場しないという点です。人々は反抗せず、制度は粛々と機能している。つまり問題は、「選ばされた」ことではなく、「真実を知らされなかった」ことにあると思うのです。

ところで、医療におけるインフォームド・コンセントとは、医師がすべてを決め、患者は従うという関係を改めるために導入された考え方です。治療の主体は患者であり、医師は専門的知見に基づいて説明し、選択を支援する立場にあります。治療内容、効果、リスク、代替手段を説明した上で、患者が自ら判断する。これが本来の姿です。

ところが、日本の医療現場では、この原則が形式化している場面を少なからず目にします。説明書に署名はするが、内容は十分に理解していない。質問しそびれたまま、「先生にお任せします」と治療が進んでいく。こうした光景は、決して珍しいものではないと思います。

医療事故訴訟に関わっていると、特に北海道では、そのお任せ傾向が非常に強いと感じられます。一方で、医師側もまた、善意のもとに「一番良い治療」を決めてしまいがちです。忙しい診療現場において、すべてを丁寧に説明し、患者の理解を確認し、迷いに付き合う時間を確保することは容易ではない。結果として、「説明はした」「同意は得た」という形式が優先され、実質的な自己決定が置き去りにされると思うのです。

海外、とりわけ欧米諸国で、治療を受けた方は、患者自身が選択を求められることがいかに多いことかを思い知ると言います。グッドドクターを初めてとするアメリカの医療ドラマを観ていると、とにかく、インフォームドコンセントは徹底されていることが分かります。日本でも制度としてのインフォームド・コンセントは整っている。インフォームド・コンセントとは、「説明を受ける権利」であるというだけではだめで、これを積極的に利用しないと行けません。

一方、インフォームドコンセントは、患者が「自ら選ぶ責任」を引き受けることでもあります。日本には、選ぶ責任を回避しているという面もあるように思えます。選択には不安が伴う。間違えるかもしれない。後悔するかもしれない。それでも、知らされないまま選ばされるよりは、自分で理解し、納得した上で進む方が、人間として健全ではないかと思います。

映画『ソイレント・グリーン』の人々は、生きるための選択をしていたつもりで、実は選ばされていただけだった。その社会は、誰かが悪意をもって作ったというよりも、多くの人が考えることをやめた結果として成立しているとも言えます。