雪まつりの思い出
自衛隊前会場という原風景
小学校の頃、雪まつりといえば自衛隊前会場だった。通っていた真駒内小学校から自衛隊駐屯地は目と鼻の先だった。
二十基を超える大小の雪像が並び、友だち同士で「何回行った?」と競うように通った。自衛官の息子と一緒に前日に基地に入れてもらい、すべり台を思う存分滑った記憶がある。中でも、タイガーマスクの雪像が素晴らしく、いまも強く印象に残っている。
映画館と、地域のにぎわい
会場では基地内の映画館も開放されていて満員だった。『アルプスの若大将』が上映されていた。
小学生だけでなく、近所の人たちも集まり、会場はいつも人であふれていた。雪まつりは、特別な観光行事というより、地域全体の冬の祝祭だった。
失われた風景と、ユートピアの記憶
時は経ち、やがて自衛隊前会場はなくなり、大通でも自衛隊が手がける大雪像はわずかになってしまった。
いま振り返ると、訓練の一環とはいえ、自衛隊が雪像づくりに全力を注げた時代は、ある種のユートピアだったのだと思う。
戦後二十五年という時間
当時は戦後二十五年。救世軍の姿が街にあり、傷痍軍人もいた。安保闘争の余韻も残っていた。
戦争に駆り出される年齢に、平和な時代を生きられたことは、幸甚としか言いようがないのかもしれない。そう考えると、いまの子どもたちは、あまりにも厳しい時代を迎えようとしているような気がする。
戦争が嫌うもの
戦前、多くの弁護士が戦争に行き、弾よけとして使われた――そんな話を大先輩から聞いたことがある。
戦争において、考える者は不都合な存在だ。弁護士は、軍隊では弾よけ程度にしか利用価値はなかったようだ。神風特攻隊に疑問を抱き、出撃しなかった人の多くが学徒出陣組だったというドキュメンタリーもある。
辺境に生きるという知恵
内田樹氏は『日本辺境論』で、日本は世界の辺境にある国だと述べている。
世界の中心だと思い込むと、誤解と悲劇を生む。大輪の花を咲かせる必要はない。世界の片隅で、分相応にひっそりと咲けばいい。
インテリジェンスという抵抗
戦争にあがなう方法があるとすれば、それはインテリジェンスしかないように思う。
それは高度な知性である必要はない。ほんの少し顔を出して、キョロキョロと周囲の国々の情勢、そして、日本のおかれている客観的情勢を見極めること。それは受動的ではなく、能動的に情報をみることだと思う。ちょっと深く読み込めば良い。

