オールドスタイルの和解
裁判所のホールに人があふれていた頃
私が弁護士になった頃、民事事件の進み方には今とは少し違う風景があった。
ある程度、主張のやり取りが終わると、双方の弁護士と当事者が裁判所に集まり、裁判官と交互に面談しながら和解協議を進めるという方法が一般的だった。
当事者は裁判官から直接話を聞いてもらうことができる。
そして、裁判官が自分の事情を理解し、同感してくれたと感じることで、和解に応じてくれる方も多かったように思う。
そのため、裁判所の三階のホールには、いつも多くの人がいた。
弁護士や当事者が順番を待ちながらベンチに座っている光景は、ごく当たり前のものだった。
特に年末の「和解のシーズン」になると、ホールのベンチは満席で、座る場所もないほどだったことを覚えている。
和解がうまい裁判官
当時は「和解がうまい裁判官」という方が確かにいた。
そういう裁判官は、単に法律をよく知っているというだけではない。
人格的にも優れ、当事者の気持ちを汲み取る感受性を持っていた。
当事者の言葉を丁寧に聞きながら、紛争の着地点を示していく。
その説得力によって、当事者が納得し、和解が成立することも多かった。
そうした裁判官の姿は、今でも私の記憶に強く残っている。
静かになった裁判所
では、今はどうだろうか。
裁判所のホールは、以前のような賑わいがない。
弁護士同士が裁判所で顔を合わせる機会も、ずいぶん減った。
弁論準備は、多くの場合、事務所からWebで行われる。
確かに効率的ではあるが、裁判所から人の気配が消えてしまったようにも感じる。
紛争は本来、人と人との問題である。
その解決の過程から、人が直接向き合う場面が減っていることに、どこか寂しさも感じてしまう。
納得して終わるための解決
もちろん、時代の変化を否定するつもりはない。
しかし、当事者が代理人とともに同じ場所に集まり、裁判官の説諭を受けながら解決を探るという方法には、独特の力があったと思う。
顔を合わせて話をする。
その過程の中で、当事者は「きちんと話を聞いてもらえた」という実感を持つことができる。
その納得感があるからこそ、紛争は本当の意味で終わるのではないだろうか。
民事調停の重要性
そうした意味で、私は民事調停という制度をとても重視している。
当事者が同じ場所に集まり、調停委員や裁判官が間に入って話を聞き、解決を探る。
このプロセスには、人間同士が向き合う力がある。
効率化が進む時代だからこそ、こうした「人が関わる解決の場」は、むしろ重要になっているように思う。
少しオールドスタイルかもしれない。
それでも、当事者が裁判官の説諭を受けながら納得して解決するという形は、これからも大切にしていきたいものである。

