2026.07.24
競争の公平性を考える ・・・プロ野球のペナントレースをみて・・・一月一言
― 競争の公平性について考える ―
私は、スポーツを見ることも、自分でプレーすることも好きです。
プロ野球を観戦し、休日には草テニスの大会にも参加しています。
そして弁護士としては、医療事故や交通事故などで、巨大な病院や企業、保険会社を相手に、患者さんや被害者の代理人を務めることが少なくありません。
一見すると全く別の世界ですが、私の中では一本の共通した考え方があります。
それは、
「勝者は、敗者によって支えられている。」
ということです。
ソフトバンクは強い
今シーズンのパ・リーグは、ソフトバンクホークスが独走態勢に入りつつあります。
近藤健介選手、山川穂高選手、モイネロ投手、オスナ投手……。資金力を背景に戦力を整え、育成制度も充実させ、圧倒的な戦力を築き上げています。
その企業努力と経営手腕は、高く評価されるべきでしょう。
しかし、私は以前から一つ疑問を抱いています。
リーグ全体として、本当にこれでよいのでしょうか。
夢を見ることができるのは春だけなのか
ソフトバンクファンにとっては、これほど幸せな時代はないでしょう。
しかし、ソフトバンクファン以外の多くのファンが一年で最も幸せを感じるのは、キャンプやオープン戦の時期ではないでしょうか。
「今年こそ優勝できる。」
「若手が育ってきた。」
「新外国人が活躍してくれるかもしれない。」
開幕前には、どの球団のファンも平等に夢を見ることができます。
ところが、シーズンが始まり、交流戦が終わり、オールスターが近づく頃には、その夢は少しずつしぼみ始めます。
「今年もソフトバンクか。」
そんな空気が漂い始めることが、リーグ全体にとって本当に幸せなことなのか、私は疑問に思います。
強者がいることと、競争が面白いことは違う
スポーツは、強い者が勝つ世界です。
しかし、強者だけが勝ち続ける世界は、必ずしも面白い世界ではありません。
だからこそ、パ・リーグはかつて前後期二シーズン制を導入し、現在はクライマックスシリーズを採用しています。
世界にはサラリーキャップ制度や完全ウェーバー方式を導入しているリーグもあります。
いずれも、「競争を面白くする」ための制度です。
リーグ運営とは、最強のチームを決めることだけではありません。
六球団すべてのファンが最後まで夢を持てる環境を整えることも、大切な役割ではないでしょうか。
優勝を目指さない球団にも課題がある
もっとも、制度だけを議論すればよいわけではありません。
球団側にも責任があります。
資金力の差はあるとしても、優勝を本気で目指しているのか疑問を抱かせる球団が存在することも否定できません。
競争は、挑戦する者がいて初めて成立します。
もし、経営の安定だけを優先し、優勝を目指す努力が十分でない球団があるとすれば、それもまたリーグの魅力を損なう要因になります。
将来的には、一部・二部リーグ制や昇降格制度のように、球団経営にも適度な緊張感を与える制度を議論する余地があるのかもしれません。
裁判もまた、公平な競争である
法律家として、この問題は「競争の公平性」の問題として考えています。
もし裁判が、「お金を多く払って有名な弁護士を雇えば必ず勝てる」という制度だったらどうでしょう。
そんな裁判制度を、誰も信用しなくなるでしょう。
裁判は、証拠と法律に基づいて判断されるからこそ、公正な制度として社会から信頼されています。
もちろん、優秀な弁護士ほど良い結果を導く可能性は高くなります。
しかし、それは「お金で勝敗を買う」ということとは本質的に異なります。
スポーツも同じではないでしょうか。
資金力は重要です。
しかし、資金力だけで長期間にわたり勝敗がほぼ決まるような構造になれば、競争そのものへの期待は次第に失われていきます。
私が大リーグに惹かれない理由
私自身、大リーグをあまり見ることがありません。
もちろん、大谷翔平選手をはじめ、世界最高峰のプレーには心から敬意を抱いています。
しかし、リーグ全体を見ると、球団による資金力の差があまりにも大きく、「お金をかけた者が勝つ」という色彩が強く感じられます。
そのような競争には、どうしても心が躍りません。
私は、挑戦者にも勝機がある競争の方に魅力を感じます。
草テニスが教えてくれたこと
この考え方は、私が参加している草テニス大会でも変わりません。
大会では、優勝者や上位入賞者に賞品が贈られることが少なくありません。
もちろん、その実力は称えられるべきです。
しかし、その賞品の原資は、参加者全員が支払った参加費です。
優勝者が存在できるのは、多くの参加者が試合をし、敗者となってくれたからです。
敗者がいなければ、勝者も存在しません。
私は以前から、実力者が参加費によって集められた賞品を受け取ることに、少し違和感を抱いていました。
草大会の目的は、プロのように賞金を争うことではありません。
スポーツを楽しみ、人と交流することです。
それならば、勝者には表彰状やトロフィーという名誉を贈り、賞品は抽選会や参加賞として参加者全体に還元する方が、大会本来の目的にかなっているように思います。
弱い立場の人を支える仕事
私が患者側の代理人を務めることが多いのも、偶然ではないのでしょう。
巨大病院や企業、保険会社と向き合う依頼者は、多くの場合、社会的にも経済的にも弱い立場にあります。
私は、そのような方々とともに歩み、強い相手に挑む仕事をしてきました。
だからでしょうか。
スポーツを見ても、自然と挑戦者を応援してしまいます。
強者を倒そうとする姿に、人は心を動かされるのではないでしょうか。
おわりに
私は、勝者を否定しているのではありません。
勝者には、その努力と実力に対して最大限の敬意を払います。
しかし、勝者だけが競争をつくっているのではありません。
敗れた人、挑戦した人、参加した人がいて、初めて勝者が存在します。
競争とは、勝者だけのものではないのです。
だから私は、スポーツでも、裁判でも、社会でも、「競争の公平性」を大切にしたいと思っています。
そして、もう一つ、大切にしたいことがあります。
挑戦する者が報われる社会であってほしい。
それは、必ずしも勝利や優勝だけを意味するものではありません。
力の差があっても挑戦することに価値があり、その努力が尊重され、「来年こそは」「次こそは」という希望を持ち続けられる社会であってほしいということです。
私は弁護士として、多くの患者さんや交通事故の被害者など、社会的に弱い立場に置かれた方々とともに歩んできました。
その方々に共通していたのは、強い相手だからといって諦めず、一歩を踏み出した「挑戦者」であったということです。
私は、そのような挑戦者を支える仕事に誇りを持っています。
だからこそ、スポーツでも、裁判でも、社会でも、挑戦する者に夢があり、希望があり、その努力が正当に報われる仕組みであってほしいと願っています。
勝者は、敗者によって支えられています。
そして、社会は、挑戦し続ける人たちによって前へ進んでいきます。
私は、そのような社会であってほしいと心から願っています。