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2026.08.09

閑話休題  映画『アパートの鍵貸します』をもう一度観る

  • 60年以上前の名画

    最近、一度観た映画を、何年か経ってからもう一度観ることがある。 若いころは、せっかく映画を観るなら、まだ観たことのない映画を観たいと思っていた。しかし、年齢を重ねてみると、昔観た映画をもう一度観るのもなかなかいい。 今回観直したのは、ビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』(原題 The Apartment)である。 1960年のアメリカ映画で、主演はジャック・レモンとシャーリー・マクレーン。アカデミー賞では作品賞、監督賞など5部門を受賞している。 映画が作られた1960年といえば、戦争が終わってまだ15年しか経っていない。 そう考えて観ると、映画のストーリーとは別のところでも、いろいろなことに目が行く。

    1960年のニューヨークと日本

    舞台は、ニューヨークの大手保険会社である。 高層ビルの広大なフロアに、数百人もの従業員が机を並べて働いている。その光景だけでも壮観である。 エレベーターには、それぞれエレベーターガールが乗務している。出発の際にはカスタネットのような器具を鳴らして合図をする。 シャーリー・マクレーン演じるフランも、そのエレベーターガールの一人である。 主人公のC・C・バクスターを演じるのがジャック・レモン。 独身の会社員で、マンハッタンに一人でアパートを借りている。 自宅では冷凍食品を冷蔵庫から取り出し、オーブンで温めて食べる。テレビを離れたところから操作する場面まで出てくる。 今なら何でもない日常の光景である。 しかし、これは1960年の映画である。 当時の札幌には、ニューヨークのような高層ビル群などなかった。冷凍食品も今のように一般家庭に広く普及していた時代ではない。テレビそのものが、まだ家庭の豊かさを象徴するような時代だった。 戦後わずか15年の時点で、ニューヨークでは既にこんな都市生活が営まれていたのか。 今さらながら、当時の日米の経済格差に驚かされる。 古い映画の面白さの一つは、物語だけではない。 その時代の街並み、職場、服装、食生活、男女の働き方、そして人々が当たり前だと思っていた生活そのものが映像として残されている。 映画は、知らず知らずのうちに時代の記録にもなっているのである。

    出世のために「アパートの鍵」を貸す男

    『アパートの鍵貸します』という邦題は、まさに物語そのものを表している。 バクスターは、自分のアパートを会社の上司たちに貸している。 何のために貸すのか。 上司たちが女性と密会する場所として使うためである。 その見返りに、上司たちはバクスターの勤務評価を良くする。 その結果、彼は会社の中で次第に出世していく。 何とも情けない話である。 ところが、ジャック・レモンが演じると、そんな主人公が妙に憎めない。 上司から部屋を貸してくれと言われれば断れない。自分の部屋なのに自分が入れず、寒いニューヨークの街を時間をつぶして歩く羽目になる。 それでも出世のために我慢する。 組織の中で上司に気に入られようとするサラリーマンの悲哀は、1960年のニューヨークであろうと、どこか普遍的なものがある。

    恋した女性と上司

    そんなバクスターが恋をする。 相手は、会社のエレベーターガール、フラン・キューブリックである。 ところが、やがてバクスターは、フランが自分を引き上げてくれた会社の上役と交際していることを知る。 しかも、自分が上司たちに提供してきた、あのアパートが二人の関係にもかかわってくる。 ここから物語は、単純なロマンティック・コメディーではなくなっていく。 出世のためなら、どこまで自分を曲げるのか。 会社の中で「うまくやる」とは、いったいどういうことなのか。 人を好きになるとはどういうことなのか。 そして最後には、自分自身を大切にして生きるとはどういうことなのか。 映画は笑いを交えながら、そんな問題を観客に突きつけてくる。 しかも、決して説教臭くない。 そこがビリー・ワイルダーのうまさなのだろう。

    ラストシーンのシャーリー・マクレーン

    今回改めて観て、特に印象に残ったのはシャーリー・マクレーンである。 彼女が演じるフランは、明るく振る舞ってはいるものの、映画の中ではどこか影を漂わせている。 報われない恋愛に悩みながら、それでも簡単にはそこから抜け出すことができない。 その寂しさや危うさを、シャーリー・マクレーンは大げさな演技ではなく、表情やちょっとした仕草で見せている。 ところが、ラストシーンになると、その表情が変わる。 私は、この映画の中で、ラストシーンのシャーリー・マクレーンが一番美しく描かれているように思う。 それまで彼女を覆っていた影が、すっと消えたように見えるのである。 そして、あの有名な最後のやり取りになる。 実に洒落たラストシーンである。 大げさな愛の言葉があるわけではない。 しかし、そこに至るまでの二人をずっと見てきた観客には、それで十分なのである。 ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンの演技はもちろんだが、脚本も実によくできている。 何気なく登場した小道具や会話、ちょっとした出来事が、後になって別の意味を持ってくる。 いくつものエピソードが伏線となり、それが最後に向かってきれいに回収されていく。 一度目はストーリーを追って観る。 二度目は結末を知っているからこそ、 「ここが、あの場面につながっていたのか」 と気づく。 これも、名画を再び観る楽しみである。

    北大法学部の給湯室で映画を論じたころ

    私が『アパートの鍵貸します』を初めて観たのは、司法試験の受験生だったころである。 当時、NHKでは名画を放送する番組があり、そこで古今の名作映画を観ることができた。 北大法学部の給湯室には司法試験受験生が集まっていたが、一時期、前夜に放送された名画を観て、翌日、その映画について議論することがちょっとしたブームになったことがある。 司法試験受験生の議論だから、単に、 「面白かった」 「この俳優が良かった」 だけでは終わらない。 「あの場面は、この後の展開の伏線だったのではないか」 「いや、その前の場面から既に伏線が張られていた」 などと、映画の構成について議論する。 さらに、映画の中で事件や揉め事が起きれば、 「これを法律的に考えると、どうなるのだろう」 という話になる。 映画を観ているときまで、司法試験受験生なのである。 『アパートの鍵貸します』などは、考えてみれば議論の材料には事欠かない。 会社の上司と部下との関係、人事評価と昇進、上司からの要求、職場内の男女関係、そして主人公が上司のために自宅を提供するという奇妙な関係。 もちろん、映画を法律問題として分析するために観ていたわけではない。 それでも、毎日法律を勉強している若者が何人も集まれば、いつの間にか法律の話になってしまう。 法律の議論をしたかと思えば、次には映画の伏線について議論する。 今から思えば、司法試験の勉強の合間の、なかなか楽しい、そして贅沢な時間だった。 あのころ、いろいろな名画を観たはずである。 しかし、何十年経っても、とりわけ記憶に残っているのが、この『アパートの鍵貸します』なのである。

    小学生のころ母と観た『お熱いのがお好き』

    ジャック・レモンといえば、私にはもう一本、忘れられない映画がある。 同じビリー・ワイルダー監督の『お熱いのがお好き』である。 こちらはもっと昔、小学生のころに母親と自宅のテレビで観た記憶がある。 淀川長治さんの名司会で知られた日曜洋画劇場だったと思う。 『お熱いのがお好き』は、小学生にも分かりやすく、とにかく楽しい映画だった。 ジャック・レモン、トニー・カーティス、そしてマリリン・モンロー。 ギャングから逃げるために男性二人が女装して女性楽団に紛れ込むという、何とも荒唐無稽な話なのだが、今観ても実に面白い。 子供のころに観た映画というのは、映画の内容だけではなく、 「誰と観たのか」 という記憶まで一緒に残っていることがある。 私にとって『お熱いのがお好き』は、ジャック・レモンやマリリン・モンローの映画であると同時に、母親と一緒にテレビの前で観た映画でもある。

    映画の中のホテルを訪ねる

    『お熱いのがお好き』の劇中の舞台はフロリダだが、ホテルの場面の撮影には、カリフォルニア州サンディエゴ近郊のコロナドにある歴史的なホテル、ホテル・デル・コロナドが使われている。 私は2000年にサンディエゴを旅行した際、このホテルを訪れた。 「あの映画に出てきたホテルが、ここなのか」 小学生のころ、母親と自宅のテレビで観た映画の場所に、何十年も経って自分が実際に立っている。 感慨深いものがあった。 同じようなことは、ニューヨークを訪れたときにもあった。 摩天楼を見上げながら、 「ジャック・レモンが働いていた会社も、こんなビルだったのだろうか」 などと思った。 映画の中で見たアメリカと、後年、自分自身が歩いたアメリカ。 そこに何十年という時間を隔てた自分自身の記憶が重なってくる。

    同じ映画でも、観る自分が変わっている

    若いころは、新しい映画を観たいと思った。 まだ知らないストーリー、まだ見たことのない映像、新しい刺激を求めていたのだろう。 もちろん、今でも新しい映画やドラマは面白い。 しかし最近は、一度観た映画をもう一度観ることにも、別の楽しさを感じるようになった。 結末を知っているからこそ、細かな演技や台詞、小道具に目が向く。 若いころには気づかなかった伏線に気づく。 そして、若いころにはよく分からなかった登場人物の気持ちが、何十年か経ってから分かることもある。 映画は変わっていない。 変わったのは、それを観る自分の方なのである。

    昔の映画を観ることは、昔の自分に会うこと

    『アパートの鍵貸します』を観れば、司法試験の勉強をしていたころの自分を思い出す。 北大法学部の給湯室で、仲間たちと映画の伏線について議論し、ついには法律問題まで論じていた自分たちを思い出す。 『お熱いのがお好き』を観れば、小学生だった自分と、一緒にテレビを観ていた母親を思い出す。 ホテル・デル・コロナドを見れば、2000年にサンディエゴを旅した自分を思い出す。 ニューヨークの摩天楼を思い出せば、そこにはまた『アパートの鍵貸します』のジャック・レモンが重なってくる。 一つの映画に、人生のいくつもの時代の記憶が重なっているのである。 今は、古い映画やドラマを気軽に観ることのできる時代になった。 次から次へと新しい作品を追いかけるのもいい。 しかし、ときには50年、60年前の映画を選んで、じっくり、ゆっくり観てみるのもいいものだ。 昔の映画をもう一度観るということは、単に同じ映画を二度観ることではないのかもしれない。 映画を再発見するとともに、その映画を観ていたころの自分を振り返る。 そして、あのころには見えなかったものを、今の自分の目でもう一度見る。 映画は昔のままである。 けれども、観る自分は歳月とともに変わっている。 だから名画は、何十年経って観直しても、また新しい。 『アパートの鍵貸します』を観終えて、そんなことを思った。