- 史上、唯一の3,000本安打達成者である。この数字だけでも十分に偉大である。しかし、張本さんについて改めて調べているうちに、私には3,085という数字とは別のところに、この人の凄さがあったのではないかと思えてきた。それは、張本さんには、人生の中で「もういい」が非常に少なかったのではないか、ということである。
「もういい」がなかった
野球は長い。一試合の中にも、シーズンの中にも、そして20年以上に及ぶ現役生活の中にも、いくらでも気持ちを抜く理由がある。
試合が決まったから、この打席はいい。
今年は優勝できないから、今日はいい。
3,000本を打ったから、もういい。
張本さんには、そういう「もういい」が非常に少なかったのではないだろうか。3,085本という記録は、華々しい一打だけでできたものではない。優勝争いの天王山で打った一本もあれば、大差で負けている試合で打った一本もあっただろう。チームが下位に沈み、優勝の可能性がほとんどなくなった季節に打った一本もあったはずである。記録上は、すべて同じ「1安打」である。しかし、その一本を20年以上にわたって積み重ねるためには、選手自身が、一見意味のないように見える打席にも意味を見いだし続けなければならない。張本さんの凄さは、そこにあったのではないかと思う。
弱いチームで打ち続けるということ
張本さんは、現役生活の大部分を東映フライヤーズ、その後の日拓ホーム、日本ハムで過ごした。
もちろん優勝した年もある。しかし、長嶋茂雄さんや王貞治さんのように、毎年のように優勝を求められる巨人で現役生活の大部分を過ごしたわけではない。
これは、安打数を積み重ねるうえでは、絶対的な中心選手として試合に出続けられるという利点があったのかもしれない。
しかし、私はむしろ逆のことを考える。
優勝争いをしているから頑張れる、というのは分かりやすい。
満員の観客がいる。日本シリーズが待っている。新聞の一面になる。目の前に大きな目標がある。
しかし、優勝の可能性がなくなっても、今日の第一打席に集中する。明日も球場へ行く。そして一本を取りにいく。
こちらの方が、ある意味では難しいのではないだろうか。
3,085本の中には、誰も覚えていない安打が何千本もある。
しかし、誰も覚えていない一本を疎かにしなかったからこそ、3,085本になったのである。
*****
504本塁打の陰にある「319盗塁」
そして、張本さんについて、あまりスポットライトの当たらない数字がある。
通算319盗塁。
私は、この数字を改めて知って驚いた。張本さんは3,085安打を打っただけではない。通算504本塁打を記録している。生涯打率も3割1分9厘を超える。それほどの大打者が、319回も盗塁しているのである。500本塁打と300盗塁をともに達成した日本プロ野球選手は、張本さんだけである。ホームランを500本も打つ選手であれば、塁に出た後まで無理をして走る必要はない、と考えても不思議ではない。しかし、張本さんは走った。『サンデーモーニング』で若い選手の走塁に厳しかったことを覚えている方も多いと思う。今になって319という数字を見ると、あの厳しさの意味が少し違って見えてくる。「なぜ次の塁を狙わないんだ」という言葉の後ろには、「自分は狙ったぞ」という自負があったのではないだろうか。
『巨人の星』で知ったタイ・カッブとの共通性
私は子供のころ、『巨人の星』でタイ・カッブの逸話を知った記憶がある。試合が一方的な展開になっても、カッブは安打を狙い、塁に出れば盗塁まで狙ったという話である。勝敗がほぼ決まっているからといって、手を抜かない。打席に立った以上は打つ。塁に出た以上は次の塁を狙う。子供心に、その執念が強く印象に残った。張本さんの3,085安打と319盗塁を見ていると、私はこのタイ・カッブの話を思い出す。勝つ可能性があるから全力を尽くすのではない。
自分がグラウンドに立っている以上、全力を尽くす。この二つは似ているようで、実は大きく違う。
生かされた命
そして、張本さんの「もういい」がなかった人生を考えるとき、避けて通れないことがある。原爆である。
張本さんは5歳のとき、広島で被爆した。爆心地から約2キロ。自宅が比治山の陰にあったことなどが幸いし、張本さんは生き残った。しかし、大好きだった姉はそうではなかった。勤労奉仕に出ていた姉は被爆し、変わり果てた姿で家に運ばれてきた。幼い張本さんは、その姉が苦しみながら亡くなっていく姿を見ている。ほんの少し場所が違えば、自分が死んでいたかもしれない。自分は生き、姉は死んだ。さらに張本さんには、幼少時の火傷による右手の障害があった。在日韓国人として生きることによる苦労もあった。それでも、それらを言い訳にはしなかった。むしろ現役時代には、被爆者であることさえ長く公にしなかった。「生かされた」という思いを張本さんがどのような言葉で自分の中に置いていたのか、他人である私には分からない。また、「姉の分まで生きる」と明確に語っていたと断定することもできない。しかし、5歳でその光景を見た人間にとって、「今日を生きている」ということの重みが、私たちと全く同じであったとは思えない。だから私は、3,085本という数字を見るとき、
「生きている以上は、今日も打つ」
という張本さんの声が聞こえるような気がするのである。
大沢親分との出会い
そんな張本さんも、現役引退後は、必ずしも誰からも親しまれる存在ではなかったように思う。偉大な記録を持ち、プライドが高く、言うべきことをはっきり言う。時には、周囲から煙たがられる存在でもあったのではないだろうか。
その張本さんの印象を大きく変えたのが、『サンデーモーニング』だった。そして何より、
大沢啓二さんとの出会いだったと思う。「大沢親分」の隣に座ると、不思議なことに張本さんが「弟分」になった。あれほど気の強い張本さんが、大沢さんの横では笑い、時にはたしなめられ、二人で「喝!」を入れる。そこには、現役時代の大打者・張本勲とは違う、愛嬌のある「張さん」がいた。人は、60歳近くになっても変わるのだと思う。あるいは、変わったのではなく、それまで外からは見えなかった部分を、大沢さんが引き出したのかもしれない。
人間には、自分一人では出せない表情がある。それを引き出してくれる人との出会いがある。大沢さんとの出会いがなければ、私たちが知っている晩年の「張さん」は、少し違う人だったかもしれない。
王貞治さんへの敬意
もう一つ、張本さんを見ていて印象的だったのは、王貞治さんへの敬意である。二人は同じ1940年生まれで、同じ1959年にプロ入りした。普通なら最大のライバルである。しかし、張本さんは王さんについて語るとき、本当に敬意を隠さなかった。王さんもまた、中国出身の父を持ち、日本で生まれ育ちながら、国籍の問題など、当時の日本社会の中で複雑な経験をしている。二人にしか分からないものがあったのかもしれない。そして王さんは、選手として868本塁打を打っただけではない。引退後には監督として人を育て、チームを率い、日本代表を率いて世界一にもなった。張本さんにはなかった第二の野球人生を、王さんは歩いた。同い年だからこそ、張本さんには、その凄さが誰よりも分かったのではないだろうか。本当に強い競争心を持った人間は、時として、本当に強い相手を素直に認めることができる。二人の関係を見ていると、そんなことを思う。
「もういい」と思わないこと
法律事務所の仕事をしていると、野球とは全く違う世界ではあるが、「もういい」と思いたくなる場面はいくらでもある。事件が思うように進まない。こちらの主張がなかなか理解されない。資料を読み返しても、新しいものが見つからない。相手方の主張に何度反論しても、同じ議論が繰り返される。そんなとき、「ここまでやったのだから、もういいだろう」と思うことがある。しかし、依頼者にとって、その事件は人生に一度の事件かもしれない。こちらにとって何百件のうちの一件であっても、その人にとっては一件しかない。誰も気づかないかもしれない。結果に影響しないかもしれない。それでも裁判所に直接訴えかける。考えてみれば、3,085本という記録も、そのような「誰も覚えていない一本」の積み重ねだったのではないだろうか。華やかなホームランだけが野球ではない。スポットライトの当たらない盗塁もある。
優勝とは関係のない試合の安打もある。そして人生には、一人で頑張るだけではなく、大沢親分のような人との出会いもある。
「もういい」と思わず、今日の一つをきちんとやること。
そして、自分を変えてくれる人との出会いを大切にすること。
張本勲さんの長い人生を振り返って、私はそんなことを考えた。
3,085本の安打のうち、私たちが映像で覚えているものは、ほんのわずかである。
しかし、誰も覚えていない一本がなければ、3,085本にはならない。人生も仕事も、案外そういうものなのかもしれない。