- 野球を見ていると、ときどき、これは仕事にも人生にも通じる話だと思うことがあります。最近、張本勲さんと北海道日本ハムファイターズの中島卓也さんという、二人の左打者について考える機会がありました。二人の打撃方法は、ずいぶん違います。
しかし、その違いを考えているうちに、
自分の長所をどう生かすか。
自分の弱点とどう付き合うか。
そして、自分に合った方法をどう選ぶか。
ということについて、二人はそれぞれ違う方法で一つの答えを示しているように思えてきました。
そしてこれは、私たち弁護士の仕事にも通じる話だと思います。
張本勲――一本を取り続けた人
張本勲さんは、日本プロ野球史上ただ一人、3000安打を超えた打者です。 通算3085安打。 しかも504本塁打、319盗塁。シーズン3割を16回記録した、日本野球史上屈指の打者です。 張本さんの打法は「扇打法」と呼ばれました。 すり足でタイミングを取り、柔らかなバットコントロールで広角に打ち分ける。 単にボールを強く打つのではなく、どこへ打てばヒットになるのかを知り尽くしていた打者だったのでしょう。 私は張本さんについて考えていると、いつも次のようなことを思います。 試合が決まったから、この打席はいい。 今年は優勝できないから、今日はいい。 3000本を打ったから、もういい。 張本さんには、そういう「もういい」が非常に少なかったのではないでしょうか。 目の前に一打席がある。 それなら、一本を取りに行く。 昨日一本打ったから、今日はいい、ではない。 3000本打ったから、もういい、でもない。 その積み重ねが3085本になったのでしょう。 自分に与えられた最大の長所を知り、それを誰にも届かないところまで磨く。 一つの生き方だと思います。中島卓也――「飛ばない」ことから生まれた打法
一方、中島卓也さんは、まったく違うタイプの打者です。 中島さんには、張本さんのような長打力はありません。 プロ野球選手としては小柄で、ホームランを量産する選手でもありませんでした。 そこで、中島さんが磨いたのが「ファウルを打つ」という技術でした。 2ストライクに追い込まれると、発想そのものを変える。 ヒットを打とうとするのではなく、ファウルを打つ。 ボールをぎりぎりまで引きつけ、三塁側へ逃がす。 もう一球、投手に投げさせる。 またファウル。 また一球。 そして最後には四球で一塁へ出る。 2016年には759本ものファウルを打ち、その大部分が三塁方向だったといいます。 これは単なる「振り遅れ」ではありません。 ファウルを、一つの技術にしてしまった。 しかも、一塁へ出れば足があります。 2015年には34盗塁で盗塁王になっています。 守備でも、遊撃手として広い守備範囲と確実性を備えていました。 ホームランを打たなくても、 ファウルで粘る。 四球を選ぶ。 塁に出れば走る。 守ればアウトを取る。 そうやって、自分の仕事を作っていった選手です。張本さんと中島さん――正反対の二人
二人は正反対です。 張本さんは、 「打てる」という圧倒的な長所を、誰にも到達できないところまで磨いた。 中島さんは、 「飛ばせない」という弱点を認め、それでも生き残れる方法を、誰にも真似できないところまで磨いた。 しかし、最後には同じところへ行き着いたように思います。 自分が何者なのかを知ること。 できることを知る。 できないことも知る。 そのうえで、 「では、自分はどうするのか」 を考える。 張本さんが中島さんの真似をする必要はない。 中島さんが張本さんになろうとする必要もない。 それぞれが、自分の野球をすればよいのです。法律事務所にも、それぞれの仕事の仕方がある
これは法律事務所にも当てはまると思います。 世の中には、何百人もの弁護士が所属し、立派な建物にオフィスを構え、国内外に多くの拠点を持つ法律事務所があります。 私の事務所は、そのような規模や建物の立派さで勝負する事務所ではありません。 弱点もあります。 できないこともあります。 それでよいと思っています。 では、私たちは何で仕事をするのか。 長く弁護士をしてきて、私たちが比較的自信を持っていることがあります。 それは、 「この事件にとって、どのような解決が一番よいのか」を見極めること。 そして、 「その解決を実現するためには、どのような手段を選ぶべきか」を判断すること。 です。事件を「どこへ連れていくか」
同じように見える事件でも、一つとして同じ事件はありません。 法律関係が似ていても、証拠が違います。 相手方が違います。 当事者の性格も違います。 人間関係も違います。 そして何より、依頼者が求めているものが違います。 だから、法律を知っているだけでは解決方針は決まりません。 この事件は、どこまで行けるのか。 何を取るべきなのか。 何をあえて捨てるべきなのか。 今動くべきなのか。 少し待つべきなのか。 交渉なのか。 調停なのか。 訴訟なのか。 徹底して争うのか。 早く終わらせるのか。 争点を広げるのか。 一点に絞るのか。 私たちが経験の中で培ってきたものがあるとすれば、 「この事件を、どこへ連れていくのがよいのか」 という見極めなのだと思います。勝つことだけが「解決」ではない
ここまで「勝負」「勝ち方」という言葉を使ってきました。 しかし、弁護士の仕事についていえば、私は勝利至上主義ではありません。 もちろん、勝たなければならない事件はあります。 依頼者の権利を守るために、一歩も退かず、判決まで求めるべき事件もあります。 しかし、それだけが解決ではありません。 法律問題の背後には、人間がいます。 夫婦がいる。 親子がいる。 兄弟姉妹がいる。 長年付き合ってきた取引先がいる。 同じ職場で働いてきた人がいる。 そこには、法律だけでは割り切れない感情や歴史があります。 その複雑な人間関係を一つ一つ整理して、 双方が完全には満足しなくても、これ以上傷つかず、それぞれが次へ進める地点を探す。 いわば、 「引き分けに持っていく」。 それも、立派な解決です。 むしろ、双方が「勝った」と主張していつまでも争い続けるより、上手に引き分けて紛争を終わらせる方が、はるかに難しい事件さえあります。懸命に戦って、負けることも立派な解決である
もう一つあります。 弁護士がどれほど懸命に仕事をしても、すべての裁判に勝てるわけではありません。 証拠が足りない。 医学的な因果関係を証明できない。 実際にはそうであったとしても、裁判という制度の中では立証できない。 そういうことがあります。 しかし、それでも戦う意味のある事件があります。 依頼者の言い分をきちんと主張する。 調べるべきことを調べる。 集められる証拠を集める。 専門家にも意見を求める。 相手方の主張に反論する。 そして、裁判所の判断を求める。 できることを尽くして、それでも負ける。 それもまた、立派な解決だと思っています。 「言うべきことは言った」 「調べるべきことは調べた」 「できることはやった」 「そして第三者である裁判所の判断を受けた」 そこまで行くことによって、初めて一区切りをつけ、次の人生へ進める人もいるからです。 勝敗だけでは測れないものが、紛争解決にはあります。自分に非があるときにも、弁護士の仕事はある
そして、弁護士のところへ来られる方が、いつも法律的に「正しい側」にいるわけでもありません。 例えば、不貞をしてしまい、慰謝料を請求されて困っている。 自動車保険が切れているときに交通事故を起こしてしまい、多額の損害賠償を求められている。 契約上、自分に責任があることは分かっている。しかし、請求された金額を一括して支払うことはできない。 そういう相談もあります。 このような事件で、責任そのものを無理に否定し、「何とかして勝とう」とすることがよい解決とは限りません。 責任があるのであれば、それを踏まえる。 そのうえで、 「では、この問題をどうすればきちんと終わらせることができるのか」 を考えます。あえて、こちらから調停を申し立てる
場合によっては、請求されるのを待つのではなく、こちらから裁判所に調停を申し立てることもあります。 責任から逃げるためではありません。 むしろ逆です。 「負うべき責任から逃げるつもりはありません。しかし、現実に可能な方法で解決したい」 と、こちらから話合いの場を作るのです。 例えば不貞の問題であれば、責任の有無をいたずらに争うのではなく、慰謝料額や支払方法、今後の関係などを整理して紛争を終わらせる。 無保険で交通事故を起こしてしまったのであれば、損害額をきちんと確認し、負うべき賠償責任を整理したうえで、現実に履行できる支払方法を話し合う。 相手方との直接交渉では感情的対立が強すぎるのであれば、裁判所の調停委員という第三者に入ってもらう。 「訴えられるのを待つ」のではなく、自分から解決の場を作る。 そういう道もあるのです。 もちろん、すべての事件で調停が適切なわけではありません。 交渉の方がよい事件もあれば、訴訟になってから解決すべき事件もあります。 ここでも大切なのは、調停という手段そのものではありません。 その事件に合った手段を選ぶことです。弁護士は「勝てる人」だけのためにいるのではない
私は、このことはもっと知られてよいと思っています。 自分が悪かった。 失敗してしまった。 取り返しのつかないことをしたかもしれない。 相手から突然請求書が届いた。 どうしたらよいか分からない。 そのようなときに、 「自分が悪いのだから、弁護士に相談しても仕方がない」 と思う必要はありません。 弁護士は、「正しい人」を勝たせるためだけにいるわけではありません。 責任があるのであれば、どこまで責任を負うべきなのかを整理する。 負うべき責任は負う。 しかし、負う必要のない責任まで負わない。 必要であれば謝罪する。 現実に履行できる支払方法を考える。 場合によってはこちらから調停を申し立て、相手方にも納得してもらえる出口を探す。 「勝つ」のではなく、「きちんと終わらせる」。 それが最良の解決である事件もあります。ホームランだけが野球ではない
ここで、もう一度、中島卓也さんに戻ります。 ホームランを打てない。 だったら、ホームランを打てる選手の真似をする必要はない。 ファウルにする。 もう一球投げさせる。 またファウルにする。 四球を選ぶ。 塁に出たら走る。 守備では確実にアウトを取る。 中島さんは、野球というゲームの中に、自分が価値を生み出せる別の道を見つけた選手だったのだと思います。 法律問題も同じです。 訴訟を起こして全面勝訴することだけが、弁護士の仕事ではありません。 ときには強く戦う。 ときには粘る。 ときにはこちらから頭を下げる。 ときには相手にも少し譲ってもらい、こちらも少し譲る。 ときには、こちらから調停を申し立てる。 そして双方が、 「これで、この問題は終わりにしましょう」 と言える地点を探す。 ホームランではないかもしれません。 ヒットですらないかもしれません。 しかし、中島さんのファウルや四球がチームにとって価値を持ったように、 その事件にとっては、それが最も価値のある解決であることがあります。一点、光る法律事務所でありたい
私の事務所は、大規模な法律事務所ではありません。 立派な建物や大人数の組織を武器にすることもできません。 弱点もあります。 何でもできるわけでもありません。 しかし、それでよいと思っています。 私たちが目指しているのは、「必ず勝つ法律事務所」ではありません。 そもそも、そんなことを約束できる弁護士はいません。 私が目指したいのは、 「この事件にとって、何が一番よい解決なのかを考え抜く法律事務所」 です。 そして、その解決を実現するために、経験に裏付けられた方法を選ぶ。 勝つべき事件なら、勝つために戦う。 引き分けるべき事件なら、複雑に絡んだ人間関係を一つ一つほどき、双方が前へ進める地点を探す。 こちらに責任がある事件なら、責任を踏まえたうえで、穏当な解決への道を探す。 そして、戦うべき事件なら、たとえ負ける可能性があっても、できることを尽くして戦う。 勝つ。 引き分ける。 責任を受け入れて、穏当に終わらせる。 懸命に戦って、負ける。 そのいずれも、依頼者にとって意味があるなら、立派な解決になり得ます。 大切なのは、どれを選ぶかです。 張本さんのように、一本を取りに行くべきときには、一本を取りに行く。 中島さんのように、簡単にはアウトにならず、ファウルで粘るべきときには粘る。 そして、ときには勝敗そのものから離れて、試合をきちんと終わらせる方法を探す。 その事件を、どこへ連れていくべきなのか。 そのためには、どの道を選ぶべきなのか。 その見極めには、法律の知識だけではなく、これまで経験してきた数多くの事件――うまくいった事件も、思うようにならなかった事件も含めて――が生きてくると思っています。 。
2026.09.14

