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2026.09.21

弁護士生活35年――人間の顔が見える司法を *** 一月一言

弁護士として歩んだ35年

私が弁護士登録をしたのは、1991年のことです。今年で、弁護士生活35年を迎えます。 一般の企業に22歳、23歳で就職したとすれば、勤続35年といえば、すでに定年が視野に入る時期でしょう。そう考えると、35年という歳月の重みを改めて感じます。 振り返れば、決して平坦な道のりではありませんでした。それでも、多くの依頼者、多くの事件、そして多くの人々との出会いに支えられ、今日まで弁護士として歩み続けることができました。

「40年表彰」という節目

弁護士会には、登録後40年を迎えた会員を表彰する制度があります。 かつての司法試験は、合格までに長い年月を要する試験でした。合格者の平均年齢も30歳近く、30歳前後で弁護士となり、そこから40年間仕事を続ければ、70歳を超えることになります。 それほど長い間、精神的にも肉体的にも厳しい仕事を続けてきたこと自体、まさに一つの偉業というべきでしょう。 もっとも、50年を節目とすれば、そこまで現役を続けられる弁護士は相当に限られます。その意味では、40年という年数は一見中途半端に見えながらも、弁護士としての長い歩みをたたえるにふさわしい、現実的で重みのある節目なのだと思います。 私が弁護士になったばかりの頃、40年表彰を受ける先輩弁護士の姿を見て、「これほど苛酷な仕事を、40年も続けることができるものなのだろうか」と、半ば畏敬の念をもって眺めていました。 その私自身が、いつの間にか35年を迎えました。 40年表彰まで、あと5年です。

変貌した弁護士社会

私の世代は、弁護士を取り巻く環境が大きく変貌する過程を、現場で経験してきた世代です。 私が弁護士になった頃の弁護士会には、今から振り返れば、牧歌的ともいえる穏やかな雰囲気がありました。弁護士同士が互いの顔を知り、先輩が後輩に声をかけ、立場や主張を異にしながらも、同じ地域の司法を担う者として、一定の敬意と連帯感を共有していました。 もちろん、昔がすべて良かったというつもりはありません。 しかし、少なくとも、当時の弁護士同士の関係には、今よりもはっきりと人間の顔が見えていたように思います。 その後、司法制度改革という大きな波が押し寄せました。弁護士の数は飛躍的に増加し、弁護士会も、互いの顔と仕事ぶりを知ることのできる規模を超えていきました。 弁護士同士のつながりは次第に希薄となり、一人ひとりの弁護士が、同じ地域の司法をともに担う仲間というよりも、それぞれ独立した事業者として存在するようになっていったように感じます。

司法制度改革が目指したもの

司法制度改革の背景には、事前の規制によって社会を管理する仕組みから、自由な活動を広く認め、そこで生じた紛争を司法によって事後的に解決する社会へ転換するという構想がありました。 そのためには、法的紛争の解決を担う弁護士の数を増やし、全国各地に地域に根ざした弁護士を配置する必要があると考えられました。 いわば、規制によって守られる社会から、法によって権利を実現する社会への転換です。その理念自体には、重要な意味があったと思います。 しかし、制度が思い描いた理念と、その後に現れた現実とは、果たして一致しているのでしょうか。

地域司法の現在

北海道新聞は、「弁護士登録、北海道3会伸び悩み鮮明」と報じています。 全国の弁護士数は今後も増加すると見込まれる一方、札幌を除く道内三つの弁護士会では、会員数の伸び悩みが鮮明になっています。大企業や大規模法律事務所が集中する東京との人材獲得競争の中で、地方の司法サービスが低下することへの懸念も示されています。 弁護士の総数を増やせば、弁護士が必要とされる地域や分野に自然に行き渡るわけではありませんでした。 市場原理に委ねれば、仕事と情報と資本が集まる東京へ人が集中するのは、ある意味では当然の帰結です。しかし、司法は、単なる市場サービスではありません。地域に暮らす人々が、等しく権利を守られ、適切な法的支援を受けるための社会基盤です。 弁護士の数は、確かに増えました。 しかし、市民の間に「困ったときには、まず弁護士に相談する」という意識が十分に定着したでしょうか。弁護士は、市民にとって本当に身近な存在になったでしょうか。 私は、なお疑問を感じざるを得ません。

司法のIT化と効率化

そして今、私たちは、司法のIT化という新たな変革のただ中にいます。 書面をオンラインで提出できること、遠隔地から裁判期日に参加できること、手続を迅速かつ効率的に進められることには、大きな利点があります。 とりわけ、広大な北海道において、移動に要する時間と負担を軽減できることには、重要な意味があります。IT化そのものを否定する理由はありません。 しかし、便利になることと、司法が良くなることとは、必ずしも同じではありません。 オンラインによる期日が増え、裁判所へ足を運ぶ機会も、相手方代理人と直接顔を合わせる機会も少なくなりました。手続が効率化される一方で、当事者の表情、声の調子、言葉の間、そしてその場の空気から感じ取ることのできたものが、静かにこぼれ落ちてはいないでしょうか。

司法から失われつつあるもの

紛争とは、本来、人間と人間との間に生じるものです。 そこには、法律や証拠だけでは割り切ることのできない感情があり、生活があり、それぞれの人生の歴史があります。 司法手続がデータと画面の中だけで進み、人と人とが直接関わらなくても済む世界が広がれば、司法から人間性が失われていく危険があります。 どれほど手続が効率化されても、当事者が一つの事件番号として処理されてはなりません。 裁判は、書面と証拠だけでできているのではありません。その背後には、傷つき、悩み、助けを求めている一人の人間がいます。 弁護士の仕事とは、その人の声を聴き、その痛みを理解し、その人に代わって言葉を尽くすことです。その営みまで効率化の名の下に切り捨ててしまえば、司法はその根本を失うことになるでしょう。

35年の経験を未来へ

弁護士として35年を歩んだ今、私には、かつての司法を知っているからこそ、現在の司法について語れることがあるのではないかと思っています。 それは、単に過去を懐かしむことではありません。 司法制度改革やIT化によって得られたものを正当に評価すると同時に、その陰で失われつつあるものにも目を凝らすことです。そして、どれほど制度や技術が変わろうとも、依頼者一人ひとりの人生に向き合い、人間の顔が見える司法を守り続けることです。 長く弁護士を続けてきた者には、その歴史を知る者としての責任があります。 司法が歩んできた道を踏まえ、その功罪を見据えながら、次の世代へ何を引き継ぐべきかを考えること。それが、これからの私に求められる弁護士としての役割なのだと思います。 40年表彰まで、あと5年。 司法から人間性が失われていく時代の流れに抗いながら、これからも、法と人との間に立ち、人と人とを結ぶ弁護士として歩み続けたいと思います。