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2026.11.04

「切腹」 映画の「間」と、裁判で人の話を聞くことの大切さ   一月一言

  • 映画の「間」と、裁判で人の話を聞くことの大切さ

    最近、1962年に公開された小林正樹監督の映画『切腹』を鑑賞しました。 実に素晴らしい映画でした。久しぶりに、映画というものが持つ圧倒的な力を感じ、深い感銘を受けました。 私が特に素晴らしいと感じたのは、その緊張感です。 最近の映画やテレビドラマは、とにかく展開が速くなっているように感じます。次々に事件が起こり、場面が切り替わり、観客を退屈させないように工夫されています。 それはそれで結構なことなのでしょう。 しかし、私たちは速さを追求するあまり、何か大切なものを忘れてしまっているのではないでしょうか。 この『切腹』を観て、私はそのことを強く感じました。

    小樽が生んだ世界的映画監督・小林正樹

    まず、驚いたのは、この映画の監督である小林正樹が北海道小樽市の出身だったことです。 小林監督は1916年に小樽で生まれ、早稲田大学で東洋美術を学びました。その後、松竹に入社しましたが、戦争中は召集され、満州や沖縄で軍隊生活を送り、終戦後には捕虜生活も経験しています。 戦後、名監督・木下惠介のもとで映画製作を学び、1952年に監督デビューしました。 代表作には『人間の條件』『切腹』『怪談』『上意討ち 拝領妻始末』などがあります。 なかでも『人間の條件』は、上映時間が約9時間半にも及ぶ大作です。 小林監督の作品には、権力や組織の不条理に対する厳しい視線と、一人の人間の尊厳を守ろうとする強い意志が感じられます。 戦争や軍隊での過酷な体験が、その作品世界に大きな影響を与えたのでしょう。 その功績は世界的にも高く評価され、1971年にはカンヌ国際映画祭25周年記念の監督功労賞を受賞し、世界十大監督の一人として顕彰されています。 黒澤明や小津安二郎に比べると、現在では小林正樹の名前を耳にする機会が少ないようにも思います。 しかし、これほどの世界的な映画監督が北海道の小樽から生まれたことを知り、同じ北海道に暮らす者として、誇らしい気持ちになりました。

    橋本忍の脚本、武満徹の音楽、そして豪華な俳優陣

    さらに、この映画には驚くほどの才能が結集しています。 脚本を担当したのは橋本忍です。 『羅生門』『七人の侍』『生きる』『砂の器』『八甲田山』など、日本映画史に残る数々の名作に携わった、日本を代表する脚本家です。 『切腹』でも、その脚本の構成は実に見事です。 最初は一つの側面から語られていた出来事が、物語の進行とともに、全く違った意味を持ち始めます。 少しずつ明らかになる事実によって、それまで当然と思われていたことが覆されていくのです。 その巧みさには、弁護士としても感心させられました。 そして、音楽は武満徹です。 武満徹といえば、日本を代表する世界的な現代音楽の作曲家です。後に琵琶と尺八を西洋のオーケストラと組み合わせた『ノヴェンバー・ステップス』などで、国際的な名声を確立しました。 この『切腹』でも、琵琶などの和楽器を用いた音楽が、独特の緊張感を生み出しています。 しかし、何より感心するのは、音楽が鳴っていない場面の静寂です。 音楽と沈黙が一体となり、映像の緊張感を高めているのです。 俳優陣も素晴らしい顔ぶれです。 主演の仲代達矢を筆頭に、三國連太郎、丹波哲郎、岩下志麻、石浜朗、佐藤慶、三島雅夫、中谷一郎ら、そうそうたる実力派俳優が出演しています。 特に、主人公を演じる仲代達矢と、井伊家の家老を演じる三國連太郎が対峙する場面は圧巻です。 二人が静かに言葉を交わすだけなのに、画面全体に息の詰まるような緊張感が漂います。 大声を出したり、派手な動きをしたりする必要などありません。 視線、表情、声の調子、そして言葉と言葉の間合いだけで、これほどの迫力を生み出すことができるのです。 ちなみに、中谷一郎は札幌出身で、札幌南高校の卒業生としても知られています。『水戸黄門』の「風車の弥七」として親しまれた俳優ですが、この映画でも見事な存在感を示しています。 北海道にゆかりのある人物が、このような名作に関わっているということにも、親しみを感じました。

    現代の映画が忘れかけている「間」の素晴らしさ

    『切腹』は134分の映画です。 現代の感覚からすると、決して短い作品ではありません。 しかも、物語は決して慌ただしく進みません。 登場人物が相手をじっと見つめ、長い沈黙が続くことがあります。次の言葉が発せられるまで、相当の時間が流れることもあります。 しかし、その時間は決して無駄ではないのです。 観客は、その沈黙の中で人物の気持ちを想像し、次に何が起こるのかと緊張しながら画面を見つめます。 時間をかけるからこそ生まれる緊張感があり、時間をかけなければ伝わらない感情があるのです。 最近は、映画やドラマを倍速で鑑賞する人もいると聞きます。 確かに、倍速で観れば短時間で物語の結末を知ることができるでしょう。 しかし、映画の価値は、筋書きや結末だけにあるのでしょうか。 登場人物の心の動き、言葉にならない思い、そして次第に高まっていく緊張感。 そうしたものを味わうことこそ、映画鑑賞の大きな楽しみではないかと思います。 『切腹』を倍速で観たならば、筋書きは理解できても、この映画の本当の素晴らしさを十分に味わうことは難しいでしょう。 小林監督が大切にした「間」そのものが失われてしまうからです。

    裁判も、速く終わればよいというものではない

    この映画を観ながら、私は自分の仕事である裁判のことを考えました。 最近は、裁判についても迅速な解決が求められています。 もちろん、裁判が長引くことは当事者にとって大きな負担です。 費用もかかりますし、精神的な苦痛も続きます。紛争をできるだけ早く解決することは、非常に重要です。 しかし、ここで一つ考えてみたいことがあります。 もし裁判があっという間に終わってしまったら、当事者は本当に納得できるでしょうか。 自分の言い分を十分に聞いてもらえないまま、裁判官から結論だけを告げられたとしたら、どうでしょう。 仮にその結論が法律的には正しかったとしても、納得できないという人は少なくないのではないでしょうか。 裁判を起こす人、あるいは裁判を起こされた人には、それぞれに事情があります。 長い年月にわたって苦しんできたこと、相手方に対する思い、どうしても理解してもらいたい事実があります。 それらを十分に聞いてもらい、自分の主張が正面から受け止められたと感じることは、裁判において非常に大切なことだと思います。 裁判では、最終的に勝訴か敗訴かという結論が出ます。 しかし、当事者の納得は、必ずしも勝敗だけによって決まるものではありません。 たとえ自分に不利な結論であっても、十分に話を聞いてもらい、証拠を調べてもらい、なぜその結論になるのかを丁寧に説明してもらえれば、納得できる場合があります。 反対に、自分の主張が十分に取り上げられなかったと感じれば、いつまでも不満が残ることもあるでしょう。 これは、裁判だけでなく、話し合いによる解決を目指す調停でも同じです。 調停では、当事者がそれぞれの思いを語り、調停委員がその話に耳を傾けながら、合意できる点を探していきます。 早く結論を出そうとするあまり、当事者の気持ちを置き去りにしてしまえば、たとえ形式的には合意が成立したとしても、本当の意味での解決とはいえない場合があります。 もちろん、必要以上に時間をかければよいというわけでもありません。 大切なのは、必要な時間を惜しまないことです。 迅速な解決と、拙速な解決は違います。 私は弁護士として、事件を効率よく処理することだけでなく、依頼者の話に十分に耳を傾け、その方が何を望み、何に苦しんでいるのかを理解することを大切にしたいと考えています。

    速さだけでは得られないものがある

    映画と裁判は、もちろん別のものです。 しかし、今回『切腹』を鑑賞して、両者には共通する大切なものがあるように感じました。 映画は、結末だけを知るために観るものではありません。 裁判もまた、結論だけを得るために存在するものではないはずです。 そこに至る過程の中で、人間の気持ちを理解し、事実を一つずつ明らかにし、納得を積み重ねていくことに、大きな意味があるのだと思います。 私たちの社会は、何事についても速さや効率を求める方向に進んでいるように感じます。 それ自体が悪いことだとは思いません。 しかし、速さや効率だけでは測れない価値があることも、忘れてはならないでしょう。 人の話をじっくり聞くこと。 沈黙の中にある思いを理解しようとすること。 結論を急がず、物事の本質を見極めようとすること。 こうした姿勢は、映画を味わう上でも、人と人との紛争を解決する上でも、大切なことではないでしょうか。 速さだけが重要なのではありません。時間をかけなければ見えてこない真実があり、時間をかけなければ生まれない感動があるのです。 小林正樹監督の『切腹』は、そのことを改めて教えてくれた作品でした。 60年以上前の映画ですが、少しも古さを感じさせません。 むしろ、効率や速さが重視される現在だからこそ、多くの方に観ていただきたい映画だと思います。 機会があれば、ぜひ倍速ではなく、監督が意図した本来の時間の流れの中で鑑賞していただきたいと思います。 きっと、忘れ難い感動が残ることでしょう。 そして私自身も、この映画から受けた感銘を忘れることなく、これからも一人ひとりの依頼者の声に丁寧に耳を傾けていきたいと思います。