バトルランナー・追記(感想の補充)
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【映画『バトルランナー(ランニングマン)』のあらすじ】
舞台は、経済崩壊と社会不安が進んだ2017年のアメリカ。政府は強権的な体制を敷き、国民の不満や関心をそらすため、過激なデスゲーム番組「ランニングマン(バトルランナー)」を国営放送で流している。番組では、国家に逆らった者や罪人とされた参加者が、殺人ハンターに追われる姿を娯楽として中継される。
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主人公ベン・リチャーズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、無実の罪を着せられ、この番組に出場させられる。彼は逃走を続ける中で、政府とメディアが事実をねじ曲げ、参加者を「悪」として仕立て上げている現実を知る。しかし、視聴者はその真実に触れることなく、編集された映像と物語を信じ、熱狂を続けている。
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主人公は、警察官だが違法な命令に逆らって刑務所へ。ニュースでは、画像が加工され市民大量虐殺者として報道されている。その後、視聴率を高めるために、ランニングマンの番組の逃げる役にされ、武器をもった処刑人(ダイナモ、サブゼロ、ファイアーボール)などと素手で戦う。
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処刑人のキャラクターはなかなか面白い、特にダイナモは、ワルキューレを流してオペラを歌いながら戦うのは秀逸です。完全に戦場の黙示録の活用です。当時、テレビの映画番組などで何度も放映されていました。ジェットコースターのようなものに乗せられて、トンネルの中を移動する演出も最高です。やっぱりトンネルを抜けるという工程はどの映画でも大事です。
■ バトルランナー』が作られた時代(1980年代後半)、公開は1987年は、私が司法試験に合格する直前になります。米ソ冷戦は終盤で、核戦争の恐怖は現実的、レーガン政権下での強い保守化・愛国主義、国家権力とメディア、軍事・警察の距離の近さへの不信、「明るい未来」よりも、管理される社会・強権的国家への警戒が強かった時代です。そして、今との違いが、テレビが“王様”だった時代です。今から約40年前、40年後は、こういう時代もあるのかなあと思ってみていました。テレビが王様から陥落することは予想できませんでしたが、国家権力の肥大とフェイクニュースは予想が当たっていましたね。一月一言(令和7年12月)映画「ランニングマン」(邦題「バトルランナー」)とSNS社会
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- 私が司法試験を受験中、シュワルツェネッガーという役者のことも全くしらない時、テレビから流れてきた映画の一つが、バトルランナーです。この映画、テレビで何度も放映され、ほとんど覚えているのですが、何度も見てしまいました。そして、最近Netflixでも見ることができるようになりました。そして、やっぱり見てしまいました。
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- 映画『バトルランナー(ランニングマン)』は、2017年のアメリカを舞台にした1987年制作のシュワルツェネッガー主演のSF映画です。この映画では、政府とメディアが一体となり、過激なデスゲームを国民向け娯楽として放送する社会が描かれます。人々は暴力的な番組に熱狂し、その裏で何が起きているのかを深く考えようとはしません。この映画にはスマートフォンもSNSも登場しませんが、「都合の良い情報が一方的に流され、人々が考えなくなる社会」という構図は、むしろ現代の方がリアルに感じられます。現代では、情報は自分から探しに行くものではなく、自然と流れてくるものになりました。ニュース、動画、評価、意見——スマートフォンを開けば、次々と目に入ってきます。便利である一方で、私たちは考える前に受け取るという習慣に慣れつつあります。この「受動性」は、社会や政治の問題だけでなく、個人の人生の問題にも静かに影響しているように思います。
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- 相続の手続が何年もされていない。事実上は破綻した夫婦関係を、離婚せずに放置している。住宅ローンや親の介護、家族間の金銭問題を「何となく」抱え続けている。こうした状況は、決して珍しくありません。多くの方が薄々こう思っています。「このままでは良くない」「いずれ困るかもしれない」。それでも、専門家に相談するのは後回しになる。なぜでしょうか。
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- 専門家に相談するという行為は、「自分が問題を抱えている」と認めることでもありますね。相続を放置している人が弁護士に相談すれば、「このままだと争いになる可能性があります」と言われるかもしれない。離婚を迷っている人が相談すれば、「感情的にはつらいが、現実的な判断が必要です」と言われるかもしれない。それは、自分が目をそらしてきた現実を、言葉として突きつけられる体験です。人は、本能的にそれを避けようとします。
- ■ 今の社会では、「すぐに結果が出る」ことが好まれます。検索すれば答えがあり、動画を見れば分かった気になる。ところが、相続や離婚、人生の問題には、一度で出る正解がありません。複数の選択肢があり、それぞれにメリットとデメリットがあり、感情の整理も必要です。この「曖昧さ」が、人を立ち止まらせるのではないでしょうか。「整理がついてから相談しよう」「もう少し考えてからにしよう」そうして時間が過ぎていくのではないでしょうか。
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- 「専門家に相談するほどではない」「こんなことで行っていいのだろうか」多くの方が、こう感じていると思います。しかし実際には、専門家が最も力を発揮できるのは、問題が小さいうちです。それでも、「相談したら話が大きくなる」「もう後戻りできなくなる」という感覚が、足を止めます。
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- 家族がいる。時間が経てば状況が変わるかもしれない。最終的には誰かが動くだろう。この「誰かが何とかしてくれる」という期待は、とても人間的です。 しかし現実には、誰も代わりに決断してはくれません。その姿は、『バトルランナー』の観客が、「自分が考えなくても社会は回る」と信じている姿と、どこか重なります。
- 人生の問題は、見ないふりをしても消えません。むしろ、時間とともに形を変え、複雑になり、関係者を増やしていきます。相続は、次の世代に引き継がれます。 離婚問題は、老後や相続の場面で再浮上します。後から振り返ったとき、「なぜもっと早く相談しなかったのか」そう語る方は、少なくありません。
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- 最後に、強調したいことがあります。専門家に相談することは、その場で何かを決断することではありません。多くの場合、それは問題を言葉にし、状況を整理し、選択肢を知るための場です。分からないままでいい。迷っていていい。何もしないという選択肢が、今は最善だと分かることもあります。重要なのは、「考えないまま時間を過ごす」ことと、「考えた上で決めない」ことは、全く違うという点です。考えることを先送りにする社会。そして、人生の問題を後回しにする私たち。
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- 『バトルランナー』が描いた未来は、特別な誰かの話ではありません。小さくてもいい。一度だけ、立ち止まって考えてみる。必要であれば、誰かに相談してみる。その一歩が、後になって最も意味のある選択だったと気づくこともあります。
弁護士&法律事務所の選び方
法律事務所の規模にもいろいろある

「大きいことは良いことだ♬」「隣の車が小さく見えま~す!」
チョコレートや車の大きさを訴える懐かしのテレビCMを覚えているだろうか。今も「30g増量」「多機能搭載」という宣伝文句をよく見かける。とかく、大きいことは、良いことだという思いが人にはあるようだ。
では、法律事務所はどうか。東京には渉外事務所といって国際取引を中心とした弁護士が100人以上いる事務所がある。札幌にはそのような渉外事務所はないが、それでも弁護士を10名以上そろえている事務所もあるし、数名の弁護士の事務所もある。もちろん、1人事務所もある。
私も勤務弁護士を3名雇用して、事務員合わせて10名近い事務所規模を誇っていたこともあるので、大所帯の事務所と1人事務所の長短はよく分かっているつもりだ。
小さな事務所のメリットデメリットとは
大所帯の事務所では、弁護士の数が多く、いつでも相談に乗ることができるし、手の空いた弁護士がすぐに仕事に当たることができるというメリットがある。また、それだけの弁護土を抱えることができるということは、対外的な信用力があることの裏付けになっている。
一方、1人事務所の良いところは、事務所の看板を背負っている弁護士自身が事件を担当し、その弁護士と信頼関係を結べるところにつきると思う。大所帯の事務所では、看板に出ている弁護士が事件を担当することになるかは不明である。場合によっては、担当弁護士が事務所移籍となって変更になることもある。
ただ、1人事務所を選ぶのは勇気がいることでもある。「大きいこと」による信用の裏付けが無いからだ。だから、1人事務所を選ぶ場合には、十分にその弁護士を吟味する必要がより一層あると思う。私の依頼者の方の中には、事務所に自分1人しか弁護土はいないと分かっていても、「先生自身が担当してくれるのですね?」と、念を押してくる方も多い。
時代劇と裁判
ちなみに、事件に関わって、相手方に大所帯の法律事務所がつくことがあり、精神的に圧倒されると感じる依頼者も少なくないが、弁護士同士の戦いは、剣豪の戦い方に通じるものがある。時代劇で剣豪が生き延びるのは、どんな大人数が相手であっても、結局勝負は一対一となるからである。西部劇のようにマシンガンで攻撃されてしまえばすぐに蜂の巣にされるが、チャンバラではそういうわけにはいかない。大型えん罪事件でもない限り、数多くの弁護士が関わっても結局事件を主に担当していくのは1人である。だから全く気に病む必要は無い。要するにどの事務所と対決するかが問題では無く、どの弁護士と対決するのかが問題ということだからである。
オリンピックをめぐるあれこれ
ドーピング検査は異議申立で再検査可能だが……

ニュースで有名人の覚せい剤取締法違反が取り沙汰されているが、オリンピックのドーピング検査の場合、仮に陽性反応が出たとしても、選手は異議申し立てができる。採取の際に予備に保管していた尿を再検査してもらえる権利が選手にはある。
では、日本の覚醒剤取締法検査はどうか。尿は原則保管されていることはなく、検査では全量消費されてしまう。つまり予備保管がない。自分の尿から身に覚えがない覚醒剤反応が出ても「もう一度調べてください」とは言えない現実がある。
秀逸な札幌五輪のテーマソング
オリンピックのテーマソングの中で最も秀逸なのは「虹と雪のバラード」である。作曲は名曲「翼をください」の村井邦夫、作詞は元札幌医大教授の河邨文一郎先生。トワ・エ・モアの歌声もハーモニーそしてアレンジも素晴らしい。
特に一番好きなのは二番の歌詞だ。今も記憶に残る。
♪雪の炎に ゆらめいて 影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が あれは夢? 力? それとも恋
オリンピックの喜びだけでなく、オリンピックが去った後の寂しさを歌った歌詞は、当時、中学生だった私の心象風景でもある「祭りの後」の寂しさを歌詞に取り込んだテーマソングは他にない。ただ、美しい街・札幌が残ったが、未だに利用されないレガシーがあるのも事実である。
課題は目の前にあるのについつい先送り
今やオリンピックは、信じられないお金がつぎ込まれるような国家的行事となっているが、本質的には、民間の団体が経営するイベントに過ぎない。
2020年開催の東京オリンピックでは、予算の負担をめぐって迷走している。予算配分や計画見直しなど、最初から考えていかねばならない問題が山積していたはずだった。しかし、さまざまな軋轢が生じ、未だスッキリしない。
これはオリンピックに限らず、身近な法律問題でも同じことが言える。
早めに相談していれば、すぐに解決できるものもあり、トラブルは未然に防げたのに、何もしようとせず、ただトラブルが拡大してしまったということが多い。早め早めの対処が肝心かもしれない。
名前をめぐるあれこれ
多数派と難解派の名字で名前の付け方が異なる?

北海道で多い名前は佐藤、高橋、鈴木ですが、夫婦別姓にならないと、数学的にはどんどん姓のバラエティーは少なくなっていくそうです。確かに、結婚すれば2つの姓が1つになるので、数十世代後には全員「高橋」になっているかもしれません。
事件を担当していると本当にいろいろなお名前があり、多数派の姓の方は名前に凝り、難しい漢字などの姓の方はシンプルな名前を付けられているケースが多いように思います。私も自分の娘の名前にはちょっと凝ってしまったようで…。
離婚訴訟の優先順位は財産分与より「氏」が大事?
離婚問題で女性側から相談を受ける際、まず氏の変更について悩みを打ち明けられることが多くあります。
確かに、結婚や離婚で氏がその都度変わるのは不自由で、社会的な不便さも多いと思います。夫婦別姓制度が早く整うことを希望していますが、離婚問題は実は他にも解決しなければならないことが山積みです。婚姻費用や養育費の額、財産分与……そもそも離婚が解決して初めて、氏の問題があるはずです。
仮の名前でも良い?
ニューヨークのスターバックスコーヒー店に行くと、なぜか名前を聞かれました。私の場合、相手が聞き取れず何度も言い直しました。そもそも名前を言う理由とは?
カップに名前を書いて、そこにコーヒーを入れて、後から名前を呼ぶシステムだったのです。それなら、サミーでもジミーでも良かったのに……。
音読みは違うけれど漢字だけを見ると……
「さとる」という名前の弁護士は札幌に自分を含め4名程度おります。私と、よく間違えられるのは、先輩の高嶋智先生と同期の橋本智先生です。「タカハシとタカシマ」と「ハシモトとタカハシ」は音読みすると全然違います。なのに「髙橋と髙嶋」「橋本と髙橋」は漢字だけを見ると同じに見えるらしいのです。どちらも姓の一字が共通しているだけに過ぎません。しかし、それ故の錯覚なのかもしれません。
灯台下暗しをめぐるあれこれ
日本の魅力、北海道の魅力

同じところにいるだけでは見えないことがあります。
海外を旅してみると、日本の観光地の素晴らしさが分かってきます。その一つが、歴史的建造物や遺跡がそのまま残されていることです。本来、攻め滅ぼされた側が造った建造物などは破壊されますが、奥州藤原氏の平泉や、平清盛が整備した厳島神社が残っていることは不思議といえます。日本には、恨みや祟りが怖いという思いが根付いているため、神様として崇められているのだと思います。だから、これだけ多彩な遺跡が残されており、世界中でも稀なことかもしれません。
また、遺跡はありませんが、北海道は自然の素晴らしさが際立っています。これだけの自然が残され、四季折々の美しさと、暑すぎず寒すぎない気候、そして、食べ物がすべて美味しい土地は、世界中を眺めてもそれほどありません。海外の人々が北海道に魅了されるのは、当然といえるでしょう。
敗者に優しく裏表のない北海道の人々
本州の紛争を担当してみても、北海道という土地の素晴らしさを肌で感じます。北海道は敗者に優しいところなのです。
本州のある土地の破産事件を担当したとき、未だに村八分という制度が脈々と生きていることを思い知らされたことがあります。かつて北海道に渡ってきた人は、競争に敗れた人が多いという歴史も関係しているのかもしれません。
また、北海道の人は、話していることと、お腹の中にあることが一致していることが非常に多いといえます。話している言葉を真に受けて良いのです。
人間関係がシンプルで、とても生きやすいのです。
見方を変えると幸せを実感
依頼者の方々と話していると、「灯台下暗し」で、北海道や日本の良さに気が付いていない人が多いと思います。当たり前のように与えられた環境がどれだけ素晴らしいものなのか。身近にありすぎて、なかなか気が付かないのかもしれません。
人生の灯台に登って遠くのものと近くのものをしっかりと眺めれば、幸せを実感することも多いのではないでしょうか。
第一印象をめぐるあれこれ
用心したい第一印象

営業の世界、恋愛の世界では、第一印象が最も大切であるとされています。確かに、最初に受けた印象はかなり大きく、最初で悪い印象を相手に与えてしまうと、それをリカバリーするのにかなりの時間を要してしまうことは、日常生活でしばしば経験することです。
敵か味方か?動物の如く嗅ぎ分ける
弁護士と顧客の関係も第一印象がかなり大事です。私の経験では、第一印象で抱いたその方の性格と、その後事件を進めるにつれ、わかってくる性格と大概ずれはないように思います。
動物は、初対面の相手をよく観察し、自分に対して害を与えないかどうかをまず判断するそうですが、人間も動物の仲間ですから、本能的にそのような判断をしているはずです。
人間には、それまでの経験値から、その方の顔の表情、物腰、話し方などから、敵味方を判別しているのかもしれません。だから年齢を経ていけば行くほど、第一印象で相手方の人間像をとらえるのが上手くなっていくのかもしれません。
裁判も訴状という第一印象が肝心
裁判でも同じです。裁判官の立場になって考えてみましょう。事件が配点されたとき、「これはどんな事件なのか」「誰が訴えているのか」「どんな筋の事件なのか」「代理人はどんな弁護士なのか」などについて強い興味をもって訴状を読むはずです。自分の扱う事件が簡単なのか難しいのかは、当然ながら自分がやらねばならない仕事の目安をつけるのに極めて重要な事柄だからです。
そのため訴状は極めて重要な書面と位置づけることができます。訴状段階で証拠も出して一気に裁判官の心証を固めてしまえという勢いの訴状が増えてきました。むしろ、それが主流のように思います。訴状で勝負を決めようとする書面が増えているのと同様、答弁書もそれに対抗して、中身のあるものになっていきました。
第一印象と現実のギャップ
ただし、第一印象が良過ぎると、その後、実態が明らかになったときとのギャップが大きくなってしまいます。このギャップゆえに悲劇が起こることもあります。第一印象というのは、本当に大切だけど厄介なものです。
フィールドをめぐるあれこれ
スポーツでは「フィールド」が重要

国別テニス対抗戦であるデビスカップでは、ホームチームがサーフェイス(コート面の材質)を選ぶ権利があります。クレーコートが得意なスペインチームは球足が一番遅い赤土を敷いて闘牛場にコートを造り勝利しました。日本が1部昇格をかけて、アウェーのインドで戦ったとき、インドは芝生のコートを選択。インドのコートは凸凹がある芝だったため、あの錦織選手も手こずり、日本は昇格できませんでした。
サッカーでも中東のグラウンドのひどさに驚かされ、ゴルフでも宮里藍選手が勝てるのは沖縄と同じ芝の東南アジアのコースが多いはずです。どのフィールドで戦うか、勝敗の行方を大きく左右するものです。
どの「フィールド」で解決するかが鍵を握る
紛争解決もフィールドが肝心です。例えば、DV問題なら、DV夫の側にとって最も望ましい場所は、他人の目が届かない家庭内です。しかし、法廷に解決の場所が移されると、DV夫は法廷で大声を張り上げるほど、不利になっていくはずです。
交通事故の解決場所はケースバイケースです。早期に解決したい時と、じっくりと解決したい時とでは選ぶべき解決方法が違います。前者では交通事故紛争処理センターや民事調停、後者では訴訟となります。
訴訟でも「コート選び」が大切
北海道と沖縄に住む夫婦間の離婚訴訟をどこで行うかも、費用の問題が全く違ってくるため極めて重要です。
また、複数の裁判官の法廷がある場合、どの裁判官が担当するのかも大きな要素の一つです。残念ながら、当事者側から担当裁判官を選べませんが、いち早くその裁判官の考え方、癖、こだわりなどを見抜いて、的確に適応していくことが大切です。
アメリカでは、どの州の法廷で訴訟をするのが得策か、戦略として検討されているくらいです。
レフェリーの信頼を得ることも大切
サッカーでは、試合態度がクリーンな日本代表に有利な笛が吹かれる場面を見かけます。これは勝負事の鉄則でしょう。
弁護士の主戦場は法廷ですが、東京とは違って札幌は法廷の数に限りがあるので、弁護士の風評は裁判所内に広まります。法廷での態度、書面の内容、解決の精度などで高評価を得ておくのと、悪印象を持たれているのでは、やはり違いがあると思います。
弁護士の選び方をめぐるあれこれ
よい弁護士とは

弁護士の供給量が高まってくると当然依頼者の方が弁護士を使ってやっているという意識になるものです。そうなると自分の意のままに動く弁護士がよい弁護士ということになりそうです。
しかし、弁護士を依頼するのは、弁護士だけが代理人として法廷に立てるからという理由だけではないでしょう。一番の理由は弁護士の知識や経験を生かして、法律問題を解決したいということのはずです。
だから、自分の意見をどこまでも尊重してくれる(というよりも従ってくれる?)弁護士がよい弁護士とはいえないのです。
自分の意向を伝える
一方、弁護士の指示に従うまま、自分の意向とはどんどんかけ離れた事件処理がなされるのをじっと我慢していることも間違っています。弁護士に対する遠慮から自分の意見を言えずにいると、結局、不満だけがたまってしまい、何のために弁護士を頼んだのか、誰のための弁護士なのか分からなくなります。
共に考え、寄り添ってもらえる
理想は、共に考え、共に歩んでくれる弁護士でしょう。弁護士から厳しい指摘を受けることも大切なことですし、弁護士に対してはっきり自分の希望を伝えて、できるだけその意向に沿ってもらうことも必要でしょう。依頼者と弁護士との間の信頼関係が最も大切なのです。
愛がなければ
聖書に、何を語っても愛がなければ銅鑼の音と同じだという一節があります。弁護士が雄弁にまくし立てても、依頼者のことを親身に思ってのことでなければ全く意味がありません。弁護士があなたのことを思って言ってくれているのか、事務的に言っているのかは、弁護士と正面から向き合って相談すれば自ずと分かるはずです。学歴があっても、年齢が若くても、経験がたっぷりあっても、愛がなければだめだと思います。もちろん、愛だけでもだめなのですが……。
アイドルをめぐるあれこれ
アイドル時代の到来

日本においてアイドルという言葉が定着したのは、1970年代だそうだ。1970年代といえば、私が中学校から大学前半を過ごした時期で、この10年間はまさに「アイドルの時代」といえる。
私がアイドルの波に巻き込まれていったのは、小学校高学年時代だった。当時は、天地真理、南沙織の時代、その後私と同じ学年の森昌子、山口百恵、桜田淳子(花の中三トリオ)時代、さらに角川映画の薬師丸ひろ子、原田知世の角川映画時代、そしてキャンディーズの時代へとつながっていく。
アイドルの実力
アイドル時代が始まった頃は、アイドルは歌が拙く、 歌唱力がないのに容貌と振り付けだけで売れているというのが常識になっていた。だから、レコード大賞でも「大衆賞」という枠でしか取り扱われなかった。その後次第にアイドルの実力も認められていったが、最初の頃は可哀想なくらいだった。
しかし、今振り返って改めて、天地真理や南沙織、麻丘めぐみのCDなどを聞いてみると、曲にしても歌詞にしても輝きを失っていないものがたくさんある。
アイドルは共通言語だった
当時、アイドルは、共通言語だった。おばあちゃんもお母さんも、お父さんも、子どもと一緒に、家族全員でテレビの前で、レコード大賞や紅白歌合戦で活躍するアイドルを応援するのが当たり前の光景だった。レコード大賞での松田聖子のぶりっ子ぶりが毎年クラスの話題になっていた。
消えたアイドル
そして、いつの間にか、次第に、紅白歌合戦からアイドルはいなくなってしまった。老若男女誰もが認知するアイドルなどもう二度と現れることはないように思われてならない。1970年代の持つ 溌剌 ( はつらつ ) とした、感覚、アイドルに夢中になれた感覚はもう戻ってこないような気がする。

